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コラム11

見えるものと見えないもの

我々は、コンディショニングのプロであるから、人がエクササイズをしているフォームや何気ない動きの中に、違和感を感知し得る。
 スクワットやベンチ・プレスなどを行っている人の、「動作フォームがおかしい」 「フォームが崩れている」といったことは、エクササイズに精通していれば誰でも判る。
 だが、フォームは身に付いているのだが、
「何か、パワーが入っていない」 「全体に力み過ぎている」
 などの感覚は、それなりの訓練が必要となろう。そのような場合、アカデミーなどのように、周りがそのレベルにある方々に囲まれて学習していると、すぐにシンクロして同調性が働き、感覚が鋭くなっていくのは確かなようである。
 いずれにしろ、コンディショニングにたずさわる方であれば、このような感性は自然と養われていくのは確かである。だが、ホリスティックコンディショニングのように、絶えず姿勢分析や歩行動作分析などを行っている方は、さらにこのような感覚が鋭く研ぎ澄まされてくるのではないかと思われる。

 そして、それが深化すると―――
「あれッ・・・?」
 何か分からないが、人の立ち居振る舞いに、異常・違和感を感知することが可能となる。その多くは直感によるもので、顕在意識ではなく、潜在意識が何らかの異常をキャッチしたものであろう。
 本来、誰でも本能的にその本質に迫る情報をキャッチできる、と思われる。よく
「動物的カンが働いて・・・・」
 などと表現されるが、生存本能に関わる緊急事態に陥ると、無我夢中で行ったことが、後で振り返ると良い結果を生んでいたことが、少なからずあると思われる。
 一方、顕在意識での、いわば理屈や理性に基づくもので判断したものは、その本質に迫れないことが多く、また、本質的な情報を認識し得ないケースが少なくないように思われる。
 話を戻す。
 恐らく・・・・、潜在意識がフォームや動きの違和感を感知したものを、実際に認識できるレベルが、われわれが追及している能力であり、顕在意識での、いわば理性的といわれる判断に依存している限り、選手やクライアントの深奥に在るメジャーポイントを、見出せないのではないかと、私には思えるのである。

     

 以前、JISS関係者が『試合の映像を分析して、相手選手の能力・特徴などを分析する』 という研究テーマに、若干関わったことがある。そのとき、
「画像分析だけでは、正確な機能性は分析でき得ない・・・」との思いが甦る。
 アメリカンフットボールでもバスケットボールでも、現在の競技スポーツではベンチ・サイドだけでなく、スタンドからゲーム全体の流れをパソコンにデータをインプットして、選手個々の動きやチームプレーなどや、最適なゲーム運びまでを、過去のデータや直近のデータに基づいて、瞬時にして導き出す手法が、主流になりつつある。監督は、スタンドでデータを収集する専門家のアドバイスを受信して、対策を立てる際の有効な判断材料としている。
 プロ野球でも、バッターのヒッティング・ポイントからウイーク・ポイント、投手が投げるボールの球種からキャッチャーが要求するコースの配分など、ほとんど全てのデータが記録されている。それらのデータを全て頭に叩き込んだ上で、最善の対処を見出そうとしている。
 われわれはそのような科学万能主義に心身まで浸りきっている。その結果、「データがなくては、最善の対策は立てられない」と指摘する方も少なくない。

 このような時代においては、科学的、客観的な手法こそが、最上の方法と考えられやすい。だが一方で、人間の持つ大脳機能は、最先端のコンピューターなど足元にも及ばないほどの能力があることも指摘されている。すべてのデータに目を通した上で、最後には自分の直感で判断する人も少なくない。とくに『天才』といわれる方が、この範疇に入る。
 過去のデータをいくら集めたとしても、そのときの、本人や相手の『コンディショニング』 『メンタル・パワー』 『試合全体の流れ(選手の波動や試合場の波動 etc)』などは、全てが異なっており、現在おかれている状況の中において、最善の方策と判断されるものは、過去のデータ分析からは導き出せないのは自明の理である。最後には、本人の判断が優先されるのであり、そのときに潜在意識がどこまで関与するかが問題となると思われる。なぜか―――
 潜在意識は、ヒトが本来持っている未来情報をキャッチする能力を持ち得る、と考えられているからである。分かりやすく言えば、直感的な予知能力が働くのは、顕在意識主体のときではなく、潜在意識が優位のときだからである。

 科学的・客観的アプローチを至上とするタイプは、顕在意識で理性的に判断され得るものが、最高・最適のものと考える。言い換えれば、顕在意識で捉えられない非科学的なものには、否定的になることが当然多い。理性的に判断する根拠が明確でないと「判断」するためである。このような思考がしみ込んでいる人ほど、潜在意識に発する「直感的」 「本能的」な感知能力が低いように思われる。だから―――
 客観的に判断できる機器などがないと、脳が反応する感知能力が低く、動きの違和感をキャッチできないのである・・・・と、私は思う。

     

 カイロプラクティックなどでは、われわれが行うように筋反射でのチェックではなく、触診で行うことが大半なので、脊椎や骨盤を触診して問題部位を触知することを強いられる。それ故、カイロプラクターは、触診で奥深い問題も感知しえる能力が高まっている。それはまた、触診を通じて、人体の発するわずかな信号や兆候を、顕在意識よりも潜在意識で捉える訓練をしていることにもなっている。
 ホリスティックコンディショニングにおいても、とくに歩行分析のように、クライアントの動作から問題点をチェックしようとすることが、不断に行うような意識付けが、いつしか無意識のうちに問題点を感知し得る能力を高めていることになる。だから―――
 ホリスティックコンディショニングに習熟するほど、潜在意識の働きが高まり、遠隔でキャッチする能力が格段に優れてくるようになる、と思われる。
 しかし、
 触診はほとんど行わず、判断の根拠を『CTスキャン』や『MRI(磁気画像診断装置』などの測定機器に委ねきっている医師は、ヒトが本来持っている異常を感知する潜在意識が働いておらず、生体を流れるエネルギーの遮断を認識することができない。
 そのため、
「(画像に異常が見られないので、)問題ないでしょう。(本当に悪くなってから、いらしてください)」
 ということになる。
 要するに、病気として診断名がつけられるまでは、通常は、異常な箇所が目に見える状態にはなっていない、ということである。画像に映らないから、「異常なし」と判断される。CTスキャンであろうがMRI(磁気共鳴画像診断)であろうが、目視できる異常を示すことで、はじめて問題がクローズアップする。
 経絡のつぼ等に電流を流して評価する機器も実用化されてはいるが、それとて一部を評価できるに過ぎないであろう。現在開発されている機器では捉えることのできない波動は、無限大にあるとの指摘もあるからだ。
 つまり、機器の性能に頼りすぎて依存している限り、本来人間の持つ能力で感知し得る、生体エネルギーを把握することはできないであろう。今でも、気功などで発するエネルギーは科学的に認知されていない。だが、エネルギーとして評価できるシステムはすでに在る。経絡のエネルギーの流れを調整する針灸などは公認しても、「なぜ効果があるのか」 「そのエネルギーの正体は何か」は、未だに未解明である。
 つまり、
 通常の医療機関では、問題がある程度悪化するまでは認識されない。故に―――問題が起きないように、防御・予防するシステムは、今の医療体制では無理である、と言わざるを得ない。

 先のサッカー・ワールドカップで、日本選手の半分が芝に反応して、後半のコンディション不良を招く要因となっていた、ということは講習会を通じて指摘してきたことである。画面を見ていれば、選手の運動能力が極度に低下してきたのは誰でも判る。問題は、その疲労は、「コンディションの不良」 「心肺機能の低下」などの一般的な判断材料だけで導き出すのではなく、

● 外気温に、体液が複合してマイナス反応を起こす特性が在る選手。
● 芝そのものにマイナス反応を起こすだけでなく、摂取したスポーツドリンクと芝が複合してマイナス反応を起こす特性が在る選手。

 などがいたことを、関係者は知らなくてはならないであろう。だが、今のシステムでは理解されないと思われる。理解されないから、そのような問題は今後も解決されないことになる。

 われわれは、日々変動する体調は、体軸の乱れで何らかの機能異常の存在を感知できる。だが、通常の医療機関の検査では、それはできない。様々な検査をすれば、たとえその異常は認識したとしても、時間も経費もかかることから、日々のスポーツや運動指導の現場においては、実用性の小さいものとなってしまう。
 だから、そのようなことを解決し得る能力を持つコンディショニングの専門家の活躍の場は、今後はさらに大きく広がってくることは間違いない。
 具体例を挙げて、もう少し説明しよう。

 横隔膜には、3つの裂孔が在る。この裂孔を食道と大動脈及び大静脈が通る。横隔膜は胸腔と腹腔を分離している筋肉であるが、全ての臓器は椎骨と同様に、可動性が必要である。心臓の拍動する振動エネルギーが全身の隅々まで行き渡るように、肺の酸素と二酸化炭素のガス交換呼吸も、全身の組織が生き続ける原動力を与えられる。故に、呼吸循環機能に関わる『心臓』 『肺』の果たす役割は大きい。
 が、全てが正常に機能するためには、呼吸と共に稼動する横隔膜の働きが重要となる。我々は、椎骨の可動性喪失部位は

● サブラクセーション(変位)
● フィクセーション(関節の固着)

 が存在するエリアとして認識している。
 同様に、全ての内臓も呼吸と共に稼働しなくてはならない。言い換えれば、横隔膜の呼吸運動によって、臓器は数センチ動くが、この動きが喪失してしまうことが機能障害に結びつき、やがては病気を招くことを誘発する。
 われわれは、横隔膜機能障害が下部胸椎のフィクセーションを伴うことを認識している。横隔神経に関わる頚椎の問題も在るし、横隔膜の動きを制限してしまう大腰筋や腰方形筋の筋アンバランスの問題もチェックする。実際のアプローチで、直ちに横隔膜機能障害を消去させることができる。
 だが、通常の医療機関では、横隔膜機能障害が様々な内臓機能低下に関連していることの指摘は、ほとんどされない。いや、認識されていないケースが大多数であろう。仮に、認識されたとしても、機能回復のための具体的なアプローチは行われない。クスリによる処方が主体であるからだ。

 もう一つ、視点をエネルギー循環機能に当てて論じてみる。
 横隔膜を考えるとき、その働きを

● 胸腔と腹腔を分離して、肺呼吸を助ける。
● 内臓を動かす。

 ということの他に、

● 生体エネルギーを伝達する。

 という大きな役割がある、と考えられる。
 このことは、身体をエネルギー循環機能で評価する場合、横隔膜によってエネルギーの循環・伝達が阻害されているケースが、頻発することを感知するからである。実に多い。それも左右の片側が機能していないケースや、全体が機能しておらず、両下肢にエネルギーが循環していないケースなどに別けられる。
 だが、これは具体的な数値として表されるのもではない。『血液循環』 『リンパ循環』などに『経絡の気血エネルギー循環』などを含めた生体のエネルギー循環である。

     

 われわれ人間の脳機能には、とても太刀打ちできない機器に頼っている現在の医療システムでは、クライアントと話をするだけで元気にさせるような、究極の予防医学は見えてこないであろう。
 自著『ホリスティックコンディショニング1(上巻)』に触れている「扁鵲の長兄」を思い起こして欲しい。扁鵲の長兄は、
「その神を診る―――」
 というものである。身体に問題や兆候が現われる前に防いでしまうので、その真の実力を知るものは身内だけであり、ほとんどの人は、その凄さをまったく認識できなかった、
 次兄は、身体に問題の兆候が現われたら、その根本から対処してしまうので、その評判は、その村内にとどまっていた。だが、ヒポクラテスと並ぶ医術の祖「扁鵲」は、身体に問題が発現した病人を、ときに毒には毒をもって制すなど、とかく素人受けする手法を用いたので、
「その名は諸侯にまで知れ渡っていた―――」
 ということになる。
 日々のコンディショニングを指導・アドバイスするわれわれは、『痛み』 『体調不良』 『故障・疾病』から回復させてやると、高い評価を受けて喜ばれる。
 だが、われわれが求める究極のコンディショナーは、単なる『パーソナルトレーナー』のレベルではない。クライアントと末永くお付き合いさせていただき、身体の障害・故障を起こさせないように未然に防ぎ、快適なライフワークを送っていただけるようにサポートする『ライフコーディネーター』である。
 継続的なクライアントが、
「そういえば、ずーっと快調だわ」
 というほど、その真の実力には気づかないほどのレベルに達することが、われわれの求める極致であると信ずる。そのためには―――
 「見て」 「分析して」その結果に基づいて「判断する」 という通常の顕在意識による冷徹な判断能力を超えた、いわばその深奥に在る潜在意識による直感的な判断能力を養わねばならないと、 強く思われるのである。                                    
   

平成18年9月1日記  矢野 雅知