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コラム17
ダ・ヴィンチ・コードの謎に挑む
ある日のアドバンス・アカデミーでのことである。基本テーマは『半健常者と高齢者:内臓反射』であった。
この日、腹筋群の問題がテーマとなり、『抑制弱化のチェック』 『なぜ抑制弱化しているのか』と『修正方法』などに焦点が合わされているとき、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた人体図に目が留まった。
これは、アドバンス・アカデミーのメンバーが、ダ・ヴィンチ展に行かれたときの土産として頂いたもので、下図の有名なレオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウスの人体図を、簡易ファイルに印刷してあったものである。ウィトルウィウスとは、古代ローマの建築家の名前である。
ウィトルウィウスの人体図
よく観ると、生きた人間のような生命感が有る。言葉に言い表すことができない、何かを感じ取れるので、参加者全員に、この人体をエネルギー転写した。そして、チェックすると―――
基本的に左下肢は問題ない。エネルギー転写したほぼ全員の筋反射でも抑制弱化は見られない。だが、
◇ 右足(距骨、立法骨)の変位
◇ 右足関節変位(踵骨など過度回内)
◇ 右脛骨内旋、腓骨頭後方外方変位
◇ 右股関節後方・外方変位
といったように、右下肢に問題が出現した。
不思議なのであるが、右股関節は下方気味であることから、右中臀筋抑制弱化が全員に出現したが、仙腸関節は
◇ 左右とも変位(サブラクセーション)はみられない
◇ 左右とも関節フィクセーション(ロッキング)はみられない
ということが示された。
通常このようなケースで、仙腸関節にまったく問題がないということは、まずない。何らかの体軸のブレが仙腸関節に反映する。だが、ダ・ヴィンチの描くこの人体が転写された参加者全員は、このような身体状態を示したのである。
さて、この絵のモデルと云われる古代ローマの建築家ポッリオ・ウィトルウィウスは、ダ・ヴィンチ自身であるという説がある。真偽は判らないが、少なくともこの絵の人体は、
● 肝臓にストレスがある
ということが示される。他の臓器には問題はないようである。
この日のテーマは『内臓反射』であるので、肝臓に問題のあるいくつかの反射点や椎骨の変位などをチェックすると、全員が
● 第3肋骨の肝臓前部反射点と肝臓後部反射点に問題が現れている。
● 腹部の募穴反射点及び右手などの反射点も活性化している。
この日は
● 肝臓ポンプ・テクニック
で、肝臓の門脈循環を促し、生命力強化のアプローチを行なった。
その結果、全ての反射点は正常化し、問題は解消した。
さて、ダ・ヴィンチの描くこの人体図は、円形・方形いずれにもおさまるもので、建築も同じであるということを示すものと、解釈されている。モデルとなっているウィトルウィウスは、紀元前1世紀頃の人物で、カエサルに仕えたと云われている。
彼は、10巻からなる建築に関わる大著を残しており、神殿から一般の家屋に至るまでの建築技術、材料や様式について論じている。彼の生きた当時、つまりローマ時代の建築を例に挙げているが、それより前のギリシア時代の建築に関心があったようで、ローマが今に残るアーチ、ヴォールト(丸天井)、ドームといった優れた建築技術には一切触れられていないという。
彼はこの書物の中で、人間の体の均整についても詳細に語っている。それと同じことをダ・ヴィンチの「人体図」では、
● 中指の先から手首の付け根までの長さは身長の10分の1である。
● 腕を伸ばした人間は、円と正方形の両方に正しく内接する。
● 両腕を広げた時の長さは背丈に等しい。
● 身長が14分の1だけ低くなるように両足を広げ、さらに両腕を伸ばして中指が頭のてっぺんと同じ高さになるまであげる。このように伸ばした手足の先をよぎる円を描くと、その円の中心にこの人のへそが来る。
● 両足の先の間の間隔と両足とは、正三角形を作る。
● 四肢とヘソの位置、顔の大きさを分析すると、黄金分割となる。
といった、人体の『長さの法則』について記している。
つまり、
このモデルとなったローマ時代の建築家ウィトルウィウスに、ダ・ヴィンチは啓蒙されている。多少の修正はしているが、彼の説を受け継いでいるのである。
モデルがダ・ヴィンチ自身という説では、これを描いた当時彼は38歳くらいであり、モデルもそのくらいの年齢に見えるからでもある。他説では自分の工房にいた人間をモデルにしているとも言われている。いずれにしろ、実にリアルな顔を書き込んでいる。
だが、この人体図のモデルについては、何かがひっかかる。ウィトルウィウスの書物には、石材運搬法、ポンプ、兵器など様々な「機械」について言及されているというが、まさしくローマ時代におけるダ・ヴィンチのような存在ではないか。 ダ・ヴィンチは天才である。天才的な発明図など、様々な文献を今に残していることは良く知られている。そして―――
● 天才的な発明家は他次元とコンタクトして創案のヒントを得る。
といわれる。
もしそれが事実であるならば、ダ・ヴィンチもまた様々なコンタクトのできる能力(超能力)を持っていた、と推測できないか。
そこで、ダ・ヴィンチ自身の有名な自画像にコンタクトしてみた―――次のことが知りたくなったのである。
「あなたは、ローマの建築家 ウィトルウィウスが転生したものなのか?」
輪廻転生に、私は興味を抱いたのである。
ダ・ヴィンチの自画像
この自画像からの反応は――といっても自分自身の戯言に過ぎないが――私の予想とは違っていた。ウィトルウィウスが転生したものではないという。だが、(自分の勝手な解釈では)過去世において、彼とは何らかの関わりがあるという反応を示しているのである。
さて、ダ・ヴィンチといえば、『鏡文字』が思い起こされる。これは、鏡に映して初めて解読できるという逆さ文字のことで、ダ・ヴィンチが残した原稿のほとんどがこの文字を使って書かれている。
科学者であったダ・ヴィンチは、知られたくないような内容を記すためだとされる。「科学」は当時、「カトリック」と対立するものであった。ダ・ヴィンチとほぼ同世代のポーランドの天文学者コペルニクスは、聖職者でもあったが故に「地動説」を記した『天球回転論』の出版を死の直前までためらっていた。ダ・ヴィンチから約100年後、ガリレオ・ガリレイの地動説は、科学とカトリック教義とが真っ向から対決したものである。カトリック教会の死の脅迫に屈したとはいえ、ガリレオは有名な
「・・・・それでも、地球は動く」
との名言を残している。ダ・ヴィンチもまた、すでに地動説を唱えていたとも伝えられている。
さて、イエスにまつわる伝記や考察は、古来より膨大な数があり、『ダ・ヴィンチ・コード』で有名になったとはいえ、様々な憶測が伝えられている。例えば―――
◇ イエスの母マリアは、処女妊娠ではない。父親がいる。
◇ イエスは結婚していた。
◇ イエスには、子供がいた。
など、神ではなく普通の人間として生きたという説がある。
むろんわが日本でも、裏日本史に詳しい方ならご存知の
◇ イエスは日本で修行した。
◇ イエスは、日本で死んだ。その墓もある(超古代の日本の歴史を記した竹内文献に基づいて、竹内巨麿が発見している)。
◇ ゴルゴダの丘で死んだのは、イエスの弟である。
など、話題に事欠かない。
ところで、1980年にイスラエルのタルピオットで、イエスにまつわる墓が発見されている。10体分の石灰岩の骨壷が見つかっており、そこにはイエス、マリア、マタイ、ヨゼフ、マグダラのマリアという名前がアラム語で書かれていた。そして、6番目の名前として、「イエスの息子、ユダ」が刻まれていたという。科学的な調査を行った結果、イエス、マグダラのマリア、ユダと名付けられた遺体の親子関係がDNA検査で裏付けられた。これだけの名前が1カ所に集まっており、さらにDNA検査結果のことを考えると、これがイエスとその家族のものである可能性は非常に高いと調査チームは述べている。
マグダラのマリアは、「イエスの伴侶であった」ということが、ダ・ヴィンチ・コードの核心にある。そして、イエスは彼女を、他の弟子たちよりもよりよく愛したと伝えられている。イエスが結婚していたということは、ローマのカトリック教会(ヴァチカン)は断じて許さなかった。
イエスの妻は、『マグダラのマリア』と呼ばれている。「マグダラ」(Magdala)とはパレスチナ北部にある町の名で、彼女の生誕の地である。彼女は長いこと「娼婦」であるとされてきたが、それが誤りであることを、ついにヴァチカンは1969年に認めている。それまでは、マグダラのマリアを崇拝することは固く禁じていた。テンプル騎士団が潰されたのは、内部で秘儀伝授と位階制度が行われ、シオン修道会のような秘密組織が裏にあり、そこでヨハネ崇拝やマグダラのマリア崇拝が行われていたからである。
マグダラのマリア
ダ・ヴィンチにまつわる謎は多い。その最たるものが、シオン修道会とのかかわりである。これは、ダ・ヴィンチが生きた時代には、決して表舞台には出てこなかった秘密結社である。
この秘密結社(今も存在する)の目的は、マグダラのマリア崇拝と、その子孫を守護することにあると伝えられている。これに関して、門外不出の秘密が漏れ出ている。
それは―――ダ・ヴィンチは歴代の「マグダラのマリア崇拝」のシオン修道会の20代目の大司教(長官)として、その名を連ねているのである。
それだけではない。
アイザック・ニュートンも後世の大司教であり、文豪ビクトル・ユゴー(第32代)、音楽家クロード・ドビッシュ(第33代)なども、この秘密結社の長官であったという。
ところで、ダ・ヴィンチからイエスに関して話を進めていくと、どうしても私が他の文献を通じて感じていたことが頭をよぎってくる。それは―――
「イエスより、聖ヨハネの方が霊的レベルが高いのではないか」
という疑問である。
洗礼者聖ヨハネ: ダ・ヴィンチ晩年の作
ダ・ヴィンチが、モナリザとともに死ぬまで手元においていたといわれる『洗礼者聖ヨハネ』は、1515年のダ・ヴィンチ晩年の作と伝えられている。このことから、マグダラのマリア崇拝だけでなく、ダ・ヴィンチは「聖ヨハネ」崇拝も行なっていたのでは・・・・・と、私には思えてくる。
聖ヨハネはイエスの使途の一人とされ、斬首刑となっているが、どうも疑問が残る。
その疑問に納得できそうな説がある。それは、次のものである。
◇ イエスはヨハネの弟子で後継者候補だったが、内部紛争で分裂して独立した。そして、ヨハネを単なる洗礼者として歴史上から抹殺してしまった。さらに、
◇ 当初あったヨハネ教会を侵食し、圧迫し、蹂躙して横取りしていったのがイエスとその後継者たるローマ教会なのである。
◇ おまけにイエスはヨハネの弟子である間に、魔術師(ヒーラー)としてのノウハウや性的秘儀も学んでいたそうで、ラザロの甦り(=死者の復活)とかもヨハネから受け継いでいる。そして性的秘儀の司祭(伝授者)こそ、マグダラのマリアという位置付けなのである。
ところで、この『洗礼者聖ヨハネ』に視点を合わせていただきたい。ヨハネは男性であるが、左右の卵巣の存在が感知される―――
ダ・ヴィンチが生涯手放さなかったこの絵には、そんな秘密めいたものが見え隠れしているのである。
さて、
ダ・ヴィンチは、『モナリザ』を自分の最高傑作として、晩年まで身近に置いて、手を加え続けていたという。このモデルは母であるとかマグダラのマリアでるとか諸説あるようである。
これについては、科学的な分析から「モナリザ」と 「ダ・ヴィンチの自画像」を重ね合わせると80%までが一致しており、鏡文字と同様に、自画像の左目元の小さなイボが、モナリザの右目にもわずかに表現されている。このことから、モナリザには「ダ・ヴィンチ自身が描かれている」との指摘がある。
余談であるが、私は20歳ごろに「モナリザ」をキャンバスに描いたことがある(但し、上半身は裸のモナリザである)。私は描き始めるに当たって、謎の微笑みとされる口元が最も難しいであろうと想定していたが、案に相違して目元が写しきれず、ついにその「目元」を描ききることができなかった。さらにその両手を合わせている「手」も、実に精緻で表現できなかった記憶がある。
ダ・ヴィンチは、男性が女性よりも優るとした近代の宗教思想に賛同せず、男女は原初において一体であり、むしろ女性こそが聖なる存在であるとする女神信仰を信奉していたという説がある。それは確かに、マグダラのマリア崇拝につながる主張であり、その考え方に照らして「モナリザ」を分析すると―――
● モナリザは男性と女性の両性が描かれている。
● モナリザの左目は問題を内包している(左目奥の視神経に問題がある)。
ということが解る。永遠の謎とされる「モナリザの微笑み」は、男女の融合が描きこまれているからこその、謎の微笑なのかもしれない。
そこで、
初めの「ウィトルウィウスの人体図」に話を戻す。
この図を改めてチェックすると、不思議なことに『左右の卵巣』の存在を感知することができる。ウィトルウィウスはもちろん男性である。だが、この人体図からは2対の卵巣の存在が読み取ることができるだけでなく、胸椎10番の変位(サブラクセーション)も同時に感知できるのである。
ここの変位は、ホモセクシャルを示す指標ともなる部位である(胸椎10番変位が全ての人に当てはまるわけではない。念のため・・・)。
ということは、この人体図は男女融合したものであり、もしダ・ヴィンチ自身をモデルにしたものであるという説を受け入れるならば、まさしくレオナルド・ダ・ヴィンチは
―――ホモセクシャルを具現している。
ということになる。
また、モナリザの左目の異常は、ダ・ヴィンチの自画像からも読み取ることができる。ということは
● モナリザには、ダ・ヴィンチ自身が描き込まれている。
ということの裏付けになる。
ダ・ヴィンチの生きたルネッサンス時代は、『最後の審判』をローマ・カトリックの総本山に描いたミケランジェロなど、多彩な天才が出現している。彼らの遺した絵画や彫刻は、確かに素晴らしい。『最後の審判』の大壁画など、頚が痛くなるほど見とれていた記憶があるが、そこに描かれた人物からは、生気――人間の苦悩というものが読み取れない。他の幾多の有名な画家が描いた人物から、内臓の機能障害を感知できるものはない。ミケランジェロの有名な『ダビデ像』からは、内臓機能を読み取ることは出来ないし、怒りの表情は示していても、「怒り」が脳内から発しているということを、感知しえないのである。ただ、後世のロダンの『考える人』からは、「苦悩の感情」が読み取れる。ロダンは、彫塑を通して「人間の内奥」に迫った偉大な芸術家であると思う。
ミケランジェロのダビデ像: 内面までは表現されていない。
さて、
この「内なる機能の表出」という観点で読み取ると、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』から、そこに描かれたイエスに付き従った人物たちの苦悩を、読み取ることができる。
最後の晩餐:内面まで表現されている。
中心にいるイエスからは、「メンタルストレス」は表現されていないが、左目奥の視神経に異常が感知される。そして、異常は「肝臓」にも反射されている。
そこで、もうひとつダ・ヴィンチの描く『岩窟の聖母』に目を通して欲しい。
岩窟の聖母
やはりこれも、左目と肝臓(特に右葉)から違和感が伝わってくる。
こうなると、
「もしや・・・」
という思いが湧き上がってくる。
そこで、もう一度、ダ・ヴィンチの自画像を見直してみる。
明らかに―――
● 左目奥の視神経に異常がある。さらに、
● (自画像では表現されていないが)肝臓にストレスがある。
ということが、感知される。
これは、あくまでも私自身の勝手な解釈となるが、ダ・ヴィンチはキャンバスに描く対象には、自分自身を、他の何者も為しえない技量をもって、ホリスティック・コンディショニングでいうところの「エネルギー転写」をしている。それ故、500年前の作品からコピーされたものであっても、彼自身の内面からの生体エネルギーが伝わってくるのである。
だから、彼はホモ・セクシャルで肝臓と左目を病んでいた、ということが分析されるのである。
このように捉えてくると、500年前に生きた稀代の大天才の人となりが、私なりに解釈できて興味深かったので、ご報告しておきます。
平成19年6月初旬 矢野 雅知