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コラム22 一流とは何か――スピリチュアル分析
卓球界のアイドルといえば福原愛であるが、その彼女とダブルスで、『愛・亜衣』ペアを組んで活躍する日本を代表する選手がいる。藤○亜衣選手である。シドニーオリンピックやアテネオリンピックで活躍し、今また、北京オリンピックの代表内定となっている。わが国の卓球界における文字通りのスターの一人である。
ある日、山形の地で、勉強を兼ねた意見交換の食事会で、その藤○亜衣選手が話題に上った。
「見るからに貧相で、とてもアスリートと思える身体つき(身体コンディション)じゃないのです。それでもオリンピックに2回も行っており、次の北京オリンピックの代表に内定したのですから・・・・、卓球というスポーツは、技術(テクニック)がまだまだ優先するのでは・・・。どう思いますか?」
私は、藤○亜衣という選手は全く知らないので、即答できなかった。それでも
「フィジカル面がさらに充実すれば、その技量はより高まることは疑いがないので・・・・」
という、ごくありきたりの返答をするしかなかった。
その会話の中で、ある高名な治療家の先生が
「(あまりにも身体機能が悪いので)なまじ治療をして、(卓球の)コーディネーションを崩して筋反応を低下させる可能性があったので、話しをしただけで帰したそうです・・・」
ということも話に出た。
何か引っかかるので、同席した治療家の女性の身体に、『藤○亜衣』を転写した。つまり、その女性を藤○亜衣本人と同じエネルギー体にしてしまったのである。分かりやすく言えば、『藤○亜衣』を憑依させてしまうのである。それは女性治療家本人の意思に関わらず、身体は一瞬で藤○亜衣になってしまう。この状態で身体をチェックすると、藤○亜衣選手の身体状態を確認することができる。
すると―――体軸は見事に崩れている。左右の仙腸関節は変位し、ほぼ全ての椎骨も正常なポジションにないことが理解された。通常、ここまで体軸が崩れていると、とてもスポーツを正常に行なえるレベルにないはずである。藤○亜衣選手に私は会ったこともないし、ましてやプレーを見たこともない。だから想像でモノを言うことはできないが・・・・直ぐに、あることに気がついた。それは、次のような過去の体験に結びついてきた。
以前、山形国体が開催されたとき、県の特別強化コーチとして多くの競技に関わったことがある。なかでも左沢高校の女子剣道部のコンディショニング指導では、1年生からじっくりと育てて、選手たちが3年生の国体開催本番の年にターゲットを当てて指導した結果、選抜―インターハイー国体と高校初の三冠を達成した。余談ながら、そのときのメンバーの一人『村山千夏(埼玉県警)』は、今年全日本3連覇の偉業を達成している。
三冠達成のメンバーは強かった。県の指導者を集めての講習会では、実際に選手たちに180kgでスクワットをやらせて見せた。体軸を崩さずに7-8キロになる防具を身につけての俊敏な動きに対応するプライオメトリックススの基礎として、
それだけのレベルを高校女子に要求したのである。
「このレベルにあるから、県予選では、打ち込んで身体がぶつかっただけで、相手が転倒してしまうほど、凄まじいパワーが出るのです。」
このように解説したことで、その後、山形では「女子高生に負けるなー!」って激を飛ばす指導者が、格段に増えた―――さて、
昨年11月から今年の2月までの4回にわたり、久々に左沢高校の女子剣道部をコンディショニング指導することになった。当然、左沢高校なので選手の面々は高いレベルにあると思っていた。実際、今でも高校剣道界での強豪であり、常に左沢高校出身者は、大学剣道界でも全日本大会でも活躍し続けている。当然、現役の選手たちも昔のイメージどおりであろうと思っていた。だが、見事に予想は裏切られた。期待に反して強くない。過大な負荷にセットすると、軸が安定しないのである。
だがしかし---剣道の姿勢をとらせると、見事なまでに体軸が入る。軸がとれるので、全身の筋反射能力が高いレベルに入る。典型的な特異性を示す『特異的姿勢でのパワー発現能力』が、非常に高いのである。多くの選手に、マイナス筋連鎖・骨連鎖はみられたが、選手同士で解消できるように徹底的に叩き込んだ。
その後、左沢高校は今年の春の選抜大会で優勝し、インターハイは3位であった。
(余談ながら、大会会場で体軸調整を選手同士で行っている高校は、「うち以外では、ありませんでした」との報告が私に届いた。)
この時のイメージが、藤○亜衣選手に直に反射した。特異的な姿勢をとらせると、変化するのではないか。そう感じて、 彼女に卓球の姿勢をとらせると―――
前傾姿勢をとっているにも関わらず、軸が崩れない。それも半端なレベルではない。私は、不思議な気がして霊的なチェックをしてみたところ―――なにかの霊が降臨(憑依)していることが感知された。そう、何か卓球の技量を一気に引き上げる何かが、明らかに降臨しているのである。
このことが切っ掛けとなって、私は他の講習の場で参加者全員に、次々と一流のアスリートのエネルギー転写を行ってみた。そして、次のことが判明した。
その1:一流アスリートとは、例外なくその道で抜きんでるために、強い霊的なサポートを受けている。
その2:真剣にスポーツに取り組むアスリートは、一度や二度は通常の理解を超える能力を発揮することを経験している。だが、常時そのような状態になるのではない。ここに「一流と二流の相違」「超一流の天才と、努力しても結果を得られない非一流の相違」があるように思われる。
その3:そのスポーツに、身命を賭すほどに打ち込んだ中の、ほんの一握りのアスリートが、『天才』と呼ばれ、『超一流アスリート』と賞賛されるが、彼らに共通するものは、強い霊的なサポートを受けていることにある。つまり、そのスポーツに取り組んだ瞬間に、「霊的な何かが降臨(憑依)する」ようなのである。
その4:『一流アスリート(達人レベル)』を超えた『超一流アスリート(名人レベル)』に達する方は、(これは推論となるが)『神人合一(本当の意味での名人レベル)』にいるヒトと、解釈され得る。
霊的な、すなわち『スピリチュアル・コンディショニング』については、理解しがたい方も多いと思われる。このようなテーマを掲げただけで、拒否反応を示す方も少なくないと思われる。確かに、以前の私自身がそうであった。霊的な事象は、完全否定する典型的なタイプであったので、拒否反応を示す方を理解できないわけではないが、現在の私は、少しは霊的なレベルに反応する能力がついていると(自分なりに)思っている。それ故、見えなかったことが、少し解るようになってきている。
スピリチュアル系に過敏に反応する方は、一般の方々でも決して少なくないが、そのような方が視ると、瞬時に霊的な何かが降臨することが、
「判る!」
と口をそろえる。
また、アスリート自身でも、そのことを自覚している選手もいるようである。
先日、私の治療室に、あるスピードスケートの全日本レベルの選手がやってきた。そのときチェックすると、
● 全日本レベルの大会では、降臨(憑依)する反応はない。だが、
● 世界レベルの大会になると、軸の取り方や身体の反応が異なり、降臨するという反応が示された。
その疑問を直接本人にぶつけると、やはり
「世界大会では、自分でも何かが(身体に)入っているのが分かります。でも・・・全日本などの大会では、そうではない・・・・」
という返答であった。そして、
「大きな大会では強いのですが、日本の大会でも、いつも入ってくれればいいのですが・・・・」
と言っていた。(因みにこのアスリートは、世界選手権大会では上位に入っており、優勝経験もある)
では、これらについて、身近な観点からあらためてみていきたい。
推論その1:一流アスリートとは、特に超一流といわれる天才的アスリートは、例外なくその道で抜きんでるために、強い霊的なサポートを受けている。
NBAの『神様』マイケル・ジョーダンが、神業的なスーパープレーを捉えた画像を見ていただくとよい。(恐らく)その全てで、神憑り的な霊的な何かが憑依(降臨)していることが、理解されると思う。といっても、大多数の方は私と同じで、感じてとるタイプではないであろう。だが、眼を視れば、霊的な何かが反応していることが判るであろう。
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「エアー」ジョーダンは、画像からほぼ完璧な体軸を示していることが理解されよう。 |
同様なことは、大リーグで不滅の記録を樹立しつつある『イチロー選手』にも当てはまる。
彼は、体軸が良好で崩れないタイプであるが、通常のときは特に霊的な反応はない。だが、ひとたびバッターボックスに立つと、瞬時にして霊的な何かが宿る。これは「体軸が取れている」「取れていない」というレベルのものではなくて、偉大な何かを成し遂げるには、単に「素質がある」「素質がない」というのではなく、霊的な何かが「降臨(憑依)している」か「降臨(憑依)していない」かなのである。
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写真解説: この日(ヤンキースタジアム)のイチローは、
仙骨が変位してベストな状態ではなかったが、バッターボックスに入ると、この画像のように変位も消失して軸がきっちりと入る。そして、 霊的な何らかが憑依(降臨)している反応を示している。 |
ゴルフは、最もメンタルの状態が反映するスポーツである。考える時間が長いことによる。故に、精神面の弱体なプレーヤーは、息を呑むような状況下でガタガタと崩れ去る。
ビッグ4の一人ゲーリー・プレーヤーは、いったん完全没入すると、キャディが話しかける声にも返答しなくなる。後に本人にその点を問いただしても、「まったく覚えがない」ということが、しばしばあったという。
同じくゴルフを『道』として捉えて、修行者のようにゴルフ道を邁進したベン・ホーガンは、ある大会で同伴競技者と交わした会話は、グリーン上での
「キミの方が、遠い!」
の一言であったという。
ゴルフ界の天才『タイガー・ウッズ』も同じである。通常のインタビューを受けているときは、体軸に乱れのある普通のプレーヤーとして映るが、アドレスに入って、集中した刹那、実に体軸が安定した状態になる。つまり、霊的な何かが宿る。
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眼に霊的な何かが反応しているタイガー・ウッズ。 |
このように、超一流といわれるプレーヤーは、単に「体軸が取れている」「取れていない」というレベルのものではなく、霊的な何かが降臨(憑依)することで、寸分の狂いのない状態に、一瞬で変化することが理解されるであろう。
全盛期の横綱朝青龍は強かった。大多数の日本人力士は、両足裏が土俵に食い込んでいないのに(大半が片側のみ)、彼は両足がしっかりと土俵に根付いて、体軸が極めて安定して崩れないタイプであった。貴乃花など一流力士の全盛期と共通するが、その上で、さらに降臨するのであるから、その横綱を倒すのは至難の技となってしまう。
推論その2:真剣にスポーツに取り組むアスリートは、一度や二度は通常の理解を超える能力を発揮することがあるが、その状態が継続できないし、再現できない。これこそが、「天才的アスリートと努力型アスリートの相違」「超一流と非一流の相違」であると思われる。
アスリートの多くが、ある日突如として信じられないような動きを示すことがある。まったく疲れを感じずに動き回れる。一流のアスリートでも、これは体験する。ただ、それが続かない。だから、超一流となれないのだ、と思われる。
かつて『野球の神様』と言われた川上哲治は、有名な
「ボールが止まって見えた!本当に止まって見えたんだ!」
と練習中に叫んだ。
後年、彼は
「その後のおよそ10試合あまりは、ボールがよく見えたので、打ちまくった。実にスローモーションに写った・・・」
と語っている。だが、野球を『道』として極めんと、禅に帰依し、超人的な努力を続けた川上哲治をもってしても、実際に「ボールが止まって見えた」という神憑り的な現象を体験したのは、練習中の一瞬であった。
神憑り的な偉業を達成する場合、ほとんどのケースで「無我夢中で、まったく疲れを感じなかった」「自然と手足が動いた・・・」などの表現がなされる。これは、古来より「無我の境地に没入する」「三昧に入る」などといわれている。あるいは、「河を渡る」ということもいわれる。
陸上競技において、偉大な記録は次々と破られていったが、23年間に渡って誰も及ぶことのなかった大記録が、ボブ・ビーモンがメキシコオリンピック(1968年)の走り幅跳びで樹立した「8M90」である。
これは1991年の東京世界陸上競技大会でマイク・パウエルが破るまで、誰もその牙城に迫ったものはいなかった。ビーモン自身も、その1回の大ジャンプ以降は2度とその記録に近づくことさえできなかった。高地での記録であるとはいえ、生涯たった一度だけ、ジャンプ力を大幅に高める何かが降臨したと思われる。(私のチェックにおいては、その大ジャンプの画像に映るビーモンは、降臨反応が示されている。)
「どうやったら、(もう一度)跳べるのか?」
彼は、その煩悩を抱えたまま現役を去った。
世界記録はともかく、各人各様のレベルで、多くのアスリートが同じような実体験することが少なくない。
「あの時は・・・(今振り返っても)不思議なほど勝手に身体が動いてくれた・・・・」
このようなことは、これをお読みになっている方も、体験しているかもしれない。
ついでながら、今年(2007年)、我が母校の順天堂大学が箱根駅伝で6年ぶりの完全優勝を決めた大立役者は、5区山登りで驚異的な区間新記録を毎年のように更新した今井正人選手である。襷を受けたとき、トップとの差は実に4分以上もあった。それを大逆転する映像をもう一度見直すと、降臨していることが鮮明に浮かび上がってくる。
サッカーやバスケットボールなどのチームスポーツでは実感しにくいが、陸上競技などの個人スポーツでは、明確に記録として示されるので、このようなことを体験することが多いかもしれない。だが、その大半は、
「その1回だけ・・・」
なのである。
真剣にスポーツに打ち込んでも、アスリートの多くが1度か2度の卓越した瞬間に触れるだけで散っていく。ここに、一流と、 一流になりきれなかった人の相違が在る、と思われる。
そして、一流と超一流の差とは、
● 「時たま降臨する」というアスリートと、
● その競技に没入した瞬間に「常に降臨する」
ということの相違である、と私には思えてくる。
では、降臨(憑依)とは、どういうものなのか。
残念ながら、私にはよく解らない。ただ、次のことが思いこされる。
ロシア在住のある方は、ロシアのアスリートについて次のように語っていた。
「普段は悪ふざけをしたり陽気なのに、ひとたび競技に入ると、明らかに人格が変わるのです。これホントです・・・・・・」
さて、スポーツの場面から、一般的な偉業を達成した偉人たちに目を向けてみよう。
すると―――
今まで見えなかったものが見えるようになってくる。三昧の境地に没入したとき、本人の『思考』『知識』『経験』以外の、何か別の、いわゆるサムシンググレート(神のような何者か)によって、新たな発見、発表、見解などを示してきたことが理解されてくる。
ここでは概念的なことしか述べられないが、
各分野で秀逸な業績を残した人には、ある共通点が浮かび上がってくる。科学者でも芸術家でも、あるいは芸能人でも、一流といわれる方々は、ほぼ例外なく、そのような観点からスピリチュアルな分析をすると、
―――サムシンググレートが降臨している
ことが理解される。
発明王エジソンは、行き詰ると横になってアドバイスを受けるために降臨するのを待ったというし、スピリチュアルには最も無関心と思われるノーベル賞受賞の多くの科学者が、最後には「神に感謝する」「神の思し召し」という境地に立ち、サムシンググレートのお力添えによっていたことを、晩年になればなるほど語るようになっている。
そして、有頂天になったり謙虚さが失われたとき、サムシンググレートのサポートが受けられなくなり、あっという間に転落していく―――という。私には、詳しいことは解らない。ただ漫然とそのような世界であるようだ、ということが、少しだけ解り始めてきた様な気がしている。
平成19年12月中旬記