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コラム23 ソマチッドとホリスティックコンディショニング その2


 ソマチッドの概要を、もう一度述べる。
 ガストン・ネサンは、倍率三万倍、約150オングストロームの分解能を持つ超高度光学顕微鏡を開発することで、微細な生体の様々な形態を観察することができた。それによって、あらゆる生物の体液の中に、特に血液の中に、負の電気を帯びた互いに反駁しあう微粒子を発見した。
 それは――人間の血液中に細胞より遥かに極微な生きた有機体であった。その有機体は、それを「ソマチッド (ソマタイド)」と命名した。

 健康な人の血液には、『ソマチッド』と、ソマチッドの形態が変化した『胞子』『二重胞子』が見られる。つまり、健康で正常なソマチッドの形態は、三段階に変化するソマチッド・サイクルが繰り返される。そして、この三つの段階で、細胞分裂に不可欠の増殖ホルモン、トレフォンが適正量生成される。
 トレフォンは生命を維持するためには不可欠な物質である。健康な人では、血液中にトレフォンを抑制する物質が存在するため、ソマチッドのサイクルは二重胞子の段階までしか進まない。
 その抑制物質とは、銅や水銀、鉛などの無機物か、シアノヒドリンのような有機物である。正常なこの三段階ソマチッド・サイクルでは、細胞の増殖に必要な適量のトレフォンが生成されるが、ストレスや病気のために、血液中のこの抑制物質の濃度が低下すると、ソマチッドのサイクルは自然な成長を続け、様々なバクテリア形態が出現する。これらはドイツ人の科学者によって、1930年代にサイフォノスポラ・ポリモルファと呼ばれていた。

変性ソマチッドは、バクテリアとは似て非なるもの
 ソマチッド・サイクルの各形態は、バクテリア、菌類、ウイルスなどの有機体の特質をいくつか持ってはいる。しかしながら最大の相違点は、各形態はそれぞれバクテリア、菌類、ウイルスなどの生物ではなく、すべて同一のソマッチドが変化したものである、という点である。

 ソマチッドは、エネルギー体である。ソマチッドは、生命が「最初に分化した」形態であり、動物や植物の生体に伝達できる遺伝的特質を持っている。
 というのは―――ソマチッド・サイクルの最初の正常な三形態がないと、細胞分裂が起きないということが発見されたからである。では、なぜソマチッドがないと細胞分裂が起きないのか―――
 細胞分裂を起こす特殊なホルモン(成長ホルモン)は、ソマチッド・サイクルの正常な最初の三形態から産出されるからである(そのホルモンは、ノーベル賞受賞者のアレクシス・カレルが発見して、『トレフォン』と命名した物質のことであると云われている)。
 また、
 一部の科学者はソマチッドがDNAの前駆物質であり、地球上の全生命の基礎単位であると考えている。というのは―――
 白い毛皮のうさぎの血液から採取したソマチッドを、およそ2週間黒い毛皮のうさぎに投与すると、新陳代謝に伴い毛が抜け変わってくると、一ヶ月足らずで黒いうさぎの毛皮が灰色に変わりはじめ、毛の半分が白色に変わる。逆に、黒いうさぎのソマチッドを白いうさぎに投与すると、白いうさぎの毛皮は同様に灰色に変わりはじめる。
 さらに―――
 白いうさぎの皮膚の断片を切り取って、黒いうさぎから同じサイズの断片を切り取った箇所に移植すると、ソマチッドが一緒に移植されていれば、拒絶反応を示すことがない。だが、移植組織にソマチッドが含まれていなければ、つまり正常な血液の移植も伴わないケースでは、拒絶反応を示す。

 ガン撲滅に向けて
 「ソマチッド・サイクル」の観察によって、ガンなどの変性疾患の発症を18ヶ月前に予測することができる。ガンに侵されていない『健康な』ネズミの血液の研究によると、ソマチッド・サイクルの『正常な形態(原始相)』は、「ソマチッド⇒胞子⇒二重胞子⇒ソマチッドに戻る」という最初の三形態を示すが、ガン腫瘍を移植したネズミの血液中には、ソマチッド・サイクルの『異常な形態』、つまり次の13段階が発現する。
 通常療法では、ガン細胞を破壊するには、『切除』するか『細胞を毒で殺す(クスリの投与)』以外には対処できないと考えており、1971年、ニクソン大統領(米国)が「ガン撲滅宣言」をして以来、ガン研究所は数え切れないほどの研究論文を発表している。また、ガンの研究と治療にかかった費用は1988年には1兆ドルを超えた。お金だけでなく膨大な時間と労力が、ガン撲滅のために投入されておりながら、依然として死亡率では常に第1位を競っている状況に変わりはない。
 それに対して、ネサンの見解は全く異なるものである。

 ネサンは、ガン細胞は本来自分自身の細胞が異常化したものである。ならば―――自分自身が異常な状態でない、言い換えれば、ソマチッドが正常な三段階のサイクルをとれるように、体の免疫機構を強めることで腫瘍を無害なものにすることができる、と考えた。
 通常療法では、「ガンとは局所的な疾患が全身化する」と考えており、大半の医師は、ガンに対し化学療法はほとんど効果が無いと認めながら、製薬業界の利益に既得権益を持つ特定の人々に指導されて、従来どおりのアプローチを続けている。 それに対して、ネサンの理論では、ソマチッド・サイクルの研究から「ガンとは全身的な病気が局所化するもの」として捉えている。ガンが発生する下地があるから、自分の細胞がガン化してしまうのである、とする。
 ネサンは、独自の理論に基づいて免疫強化剤『714-X』を開発した。これはクスノキが産出する天然のカンファー(樟脳)を原料とするもので、ガン患者1000人のうち750人が完治し、エイズ、筋萎縮性側索硬化症などの難病患者も劇的な改善を示している。

 このように、ソマチッドに関わる研究は、人体の健康度を評価する指標になり得るものであるようだ。ということは―――
  我われが行う体軸を整えることで、「脳脊髄液の正常な循環」及び「生体エネルギーの正常な循環」機能を確保するために、ソマチッド・サイクルを正常化するためのアプローチが、ひとつのキーポイントになるであろう。そのためには、ソマチッドが存在する血液を良好な状態に確保しておかなくてはならないことになる。そのための試行を、ホリスティック・コンディショニングでは、幾度となく繰り返してきた・・・・・。

千島学説に立脚する必要性
 ソマチッドについて稿を進めていくと、どうしても千島学説にたどり着いてしまう。
 ガストン・ネサンの「全身的な身体の異常が、局所にガンなどの疾病を引き起こす」という見解は、千島学説の本質的な論点と一致する。

 千島学説とは、故千島喜久男医学博士(1899-1978年:岐阜大学教授)が唱えた画期的な医学・生物学理論である。1963年の発表当時は、大きな反響を巻き起こしたが、血液学、細胞学の「定説」とあまりにもかけ離れた理論だったため、医学界から「異端」扱いされ、学術論文も発表できない状況となってしまった。その為、千島学説は我が国では黙殺されているが、日本ではなく世界がこの学説に注目をし始めており、千島学説に基づくと多くの問題が氷解することから、今後は革命的な論理が第一線に躍り出るやも知れない。
 身体への様々な反応をチェックしていると、 私自身は千島学説に立脚してアプローチした方が、納得できる反応が示されることから、今では千島学説を信奉しつつある。

 千島学説は8つの原理から成り立っているが、これらはほぼ全て、現代の生物科学を覆す内容である。そのため、現代の医学界で受け入れがたいのは理解できるが、私にとっては、千島学説に基づいて人体へのアプローチを考えた方が、つきまとっていた違和感が拭えるのである。
 例えば、
□ 細胞は血液から造られる=赤血球分化説
 がある。
 これに焦点を当てて実際の現場での対応を述べると―――
  微細な剥離骨折の存在が感知される骨を見つけ出した場合、
● その骨の細胞修復を早めるために、体軸を整えて、その骨に関わる筋肉(筋膜)、靭帯、関節などを正して、「血液」「リンパ液」などの体液循環能力を活性化する。
● その骨に、その人に適合するレベルのエネルギーを注入する(邪気ではないので注意)。
 ということで対処していた。
 それを、もう一歩進めて
● その微細な剥離骨折の部位に、赤血球&ソマチッドを凝集させる。
 という視点でアプローチする方が、再生能力が一段と速まるようなのである。
 私自身の反応では、これによって数倍の効力が見込めるように感じている。

 では、千島学説の「8つの原理」とは何か。以下、概要を説明する。
第1原理:赤血球分化説・・・赤血球から体細胞が造られる
 細胞は分裂によって増えるのではない。身体のなかを流れる赤血球が細胞に変化し、この肉体を形づくっていく。つまり、血液が細胞に変化するのであるとするものである。
 人間の赤血球に核が無いことは知られている。核がないから、DNAもないことになる。人間の細胞は、細胞分裂して出来ると教えられてきたことと、対立する理論である。

 現在の医学常識では、赤血球は酸素を身体の各部位に供給するだけの機能しかないとしている。しかし、赤血球の大きさは 7~8μもあり、毛細血管の太さは、細いものでは3μしかない。この細い管を変形しながら赤血球は通り抜けていくことになる。赤血球が酸素を供給するだけであれば、自然の摂理に反する不合理な形態をしていることになる。
 動脈から毛細血管に入り、そこから静脈に入って血液は循環することになるが、その先端部は繋がっていないように見える。途中で断ち切れているように観察される。この断ち切れた箇所で細胞化すると考えれば、毛細血管の細い径の不合理性も納得できる。

 千島学説では、全身を何回か巡回した赤血球が臓器情報を獲得し、毛細血管を通り臓器に達し、その臓器の細胞となる。そして、不要となった細胞は再び赤血球に戻り、肝臓で分解されると説く。この繰り返しこそ、赤血球の本来の姿であるというのである。
 現代の医学は「細胞は細胞から」というウィルヒョ-学説に従い、細胞は分裂によって増殖すると考える。特にガン細胞は分裂が速いので、いたるところに転移するというのが現在の常識である。
 しかし、千島学説では、「ガン細胞は分裂によって増殖するのではなく、血液中の汚れや滞りが赤血球を汚し、それがある部位に到達し、変化してガンとなる」とする。
 これについて、超能力者のヒットラーが最も恐れた男、ルドルフ・シュタイナーも
 「悪性腫瘍(ガン)は、身体の全体的な病気である。全身を流動する体液(ソマチッドを含む血液・リンパ液など)こそが、健康のカギを握っている」
 と同様の見解に立っている。
 また、ガストン・ネサンと同様に、3万倍の超高倍率顕微鏡を独自開発して、生体や血液の中に微小な有機体を発見したレイモンド・ライフ(米)も、次のような結論を得た。
□ 細菌は、病気を起こす原因でなく、病気になった結果生じるものである。
□ 細菌は、体の状態に応じて無害なものか、致死性の病原菌に変化する
□ 細菌は、生命の基礎単位と考えられているが、実は細胞の中にもっと小さな細胞があり、その小さな細胞の中にさらに小さな細胞がある。このプロセスは16段階まで続く(註:これは、ソマチッドを指す)

 現代医学では、「なぜガンの転移がかなり離れた箇所で発生するのか」ということが、未だ解明されていない。そのため、ガン細胞やウイルスを躍起になって探している。
 しかし、千島学説なら転移も簡単に説明ができる。
 すなわち―――
 精神の乱れや間違った食生活を続けると、血液を悪化し、悪化した血液は正常な細胞にならずガン細胞になる。つまり、「ガン化とは、細胞に変化する赤血球の悪化の結果によって引き起こされたものである」ということから、転移ではないことになる。
 健康とは、「血液をサラサラに綺麗にして、正常なソマチッド・サイクルが行える状態にしておくこと」として表現できる。つまり、血液の流れを良くするには、肉食に偏らず菜食をしっかりと取り、イライラしたり怒ったり、あれこれネガティブなマイナス思考に陥らず、身体に過剰なストレスを与えないことであり、もしストレスを受けたとしても、速やかにそのストレスを消去してしまえばよいことになる。

 このことは、あるガン患者が余命あと僅かという時に手術を拒否し、念願のヒマラヤ・トレッキングに出かけたことでガンが消滅してしまったことや、瞑想をして精神を安定させたら、ガンが消えてしまった事例からも証明できるであろう。


第2原理:組織の可逆的分化説:飢餓・断食時には体細胞から赤血球へ逆戻りする
 このことは、骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄養不足のときに、造血作用が認められるからである。
 だが、骨髄の造血作用は、医学常識とされている真の造血ではない。なぜなら、骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していてとても血液は造れないからである。飢餓および栄養不足では血液が補給できないから、細胞が血球に逆戻りしているのである。つまり、断食したり、痩せようとして節食したり、大量の出血後、あるいは病気のとき、すべての組織細胞は赤血球に逆戻りする可能性がある、というのが千島学説である。


第3原理: バクテリア・ウイルスの自然発生説: これらは一定条件下で自然発生する
 近代医科学の基礎をつくったパスツールは、実験によって「バクテリアは自然に発生するものではない」ことを証明した。
 千島博士は、パスツールの行なった実験と同じ条件、同じ器具を使い、追試の実験をおこなった。そして―――彼はパスツールの実験の盲点を、世界で初めて指摘したのである。つまり、パスツールの説は実験の範囲では事実であるが、自然界における一般法則の観点からは矛盾があり、これを人体に拡大解釈するには無理がある、というのである。
 生命の自然発生には、「適当な温度」「水分」「空気」「栄養分」などの5つの条件が必要となる。パスツールの実験は、これらの条件を充たしているといえないのである。
 概略を述べると―――
□ パスツールは、試験管内の肉汁を高温で過熱したが、これではバクテリアの栄養源である有機物は熱変成して変質してしまう。また、加熱によって酸素欠乏の状態を作り出した。
□ 急激に温度の変化を与えたということは、自然界の季節の変化(一定の時間的経過)を無視していることになり、自然の状態では冬から春、春から夏というように徐々に温度が上がるにつれ、バクテリア(生命)の自然発生は活発な活動を開始する。つまり温度の推移が生命の発生に影響してくるのであるが、パスツールは自然というものを無視して、機械論的に自然発生を否定したのである。
□ 結論として、バクテリアの発生は、空気のなかにまじっている細菌やそのたね(芽胞)が、肉汁のなかに落ち込んだものと、パスツールは断定した。

 パスツールは、バクテリアの自然発生を否定した。では、その説が正しければ、
 「微生物はどうしてできるのか(地球上最初の生物はどうして発生したか)」
 という疑問が残る。生物がまったく存在しない太古の地球上では、始めは無機化合物から有機化合物が合成されなければならない。
 その点について、ソ連科学アカデミー会員のアレクサンドル.オパ-リン博士は、
「生物で無いものから生物が誕生した。つまり、無機化合物から生命の一歩手前の物質(有機化合物)を経て微生物が生まれた」
 という。
 といっても、彼は「これは何億年前のある時期にたった一度だけである」としている。その理由は、「今日の地球上には生命がすでにできていて、地球は新しい生命を発生させる段階を過ぎているからだ」と説明している。これで・・・納得できるだろうか。

 それに対して、千島博士は、カエルの血液を腐敗させて、そこにバクテリアを自然発生させる実験観察に成功した(1958年)。このバクテリアは有機物の腐敗から新しい生命を得て、他のバクテリアなしで発生したものであった。
 「血液銀行で保存する無菌処理された血液は、たとえ冷蔵庫のなかにおいても、十日以上経つとバクテリアは自然発生する」との研究発表がされているし、「蒸した米から、麹菌(バクテリア)の自然発生する」 ことも見出されている。また、東洋哲学に基づいた食養の世界的大家、桜沢如一氏も千島学説を支持した一人であった。氏は、全ての現象を易の陰陽に置き換えた『万象無双原理』から、万物を解明しようとした。

 千島学説では、病気は外からのウイルス感染が原因ではなく、悪化した体の組織からウイルスが発生すると説く。というのは、自律神経を強く刺激するだけで、結核、腸チフス、赤痢などの伝染病の症状を発生させたからなのである。
 このことは、腸内細菌発生について―――例えば、人間の赤ん坊は、出世時の腸内は無菌であるが、生後2日目にはビフィズス菌が繁殖している。母乳や人工ミルクの中に、ビフィズス菌の存在が確認されていないにもかかわらず、である。このことは、自然発生説なら説明が可能となる。
 かつての中世で大流行した「黒死病(ペスト)」や近年の「天然痘」「スペイン風邪」、最近では「エイズ」「SARS」のような同時多発的に広がる「流行病」というものは、身体そのものが弱り、環境の激変などの影響をうけたときに、病原体(ウイルス)が身体のなかに自然発生するというのである。

 「病原菌は病気の原因ではなく、病気になった結果である」という千島学説を裏づける研究がある。それは、レ-リィ(フランスの外科医)が、1943年に唱えた『レ-リィ現象』と呼ばれており、自律神経を刺激すると、病原菌が外から入ってこなくても病気になるというものである。この実験では、病原菌は一つも入らない状況下において、ただ自律神経を強く刺激するだけで、結核、腸チフス、赤痢などの伝染病の症状を発生させることを実証したのである。

 これは―――千島学説の『細菌の自然発生』を裏付ける重要な実験であり、これまでの学説では考えられない革命的な発見だった。しかしこの実験は余りにショッキングであったため、今日まで医学界はこの発見を黙殺している。

 千島博士は、外部から侵入するウイルス感染が病気の原因ではなく、悪化した体の組織から発生するウイルスが原因すると言った。このことはハンセン氏病(ライ病)について考えてみるとよく分かる。
 ハンセン(ノルウェー)は、1871年ライ菌を発見して、「ライ病は細菌に感染して起こる」と発表した。現在でも大多数の医学者がこのハンセン説を盲信している。
 ところが千島博士は、ハンセン説に反対する論文を世に出した。それは―――ライ病療養所の医師や看護婦でライ病に感染したものは 一人もいないということである。また、現代医学のいう、ライ病は感染してから五年から十年の潜伏期を経て、はじめて発病するというのが定説となっているが、これはあくまでも想像説なのだ。実は、ライ菌がどこに潜伏していて、いつ発病するかということを、五年間ずっと追跡し、実証した学者は世界中に一人もいないのである。
 さらに健康な人にライ菌を接種したところ、感染しなかったという実験データがある。このように、細菌の感染によって起こるという説は説得力がないことになる。にもかかわらず、いまなお伝染病説が根強く生きているのは、
「外部から入り込んだライ菌が存在する」という、たった一点に固執しているためである。
 千島博士は、ハンセン氏病の原因を、「不規則で不衛生な生活を続けたから」とみる。精神的ストレスがたまれば血液がにごる。不衛生な食事は悪い血液をつくる。怠惰な生活をすると血液は滞り、変化しはじめる。神経の障害があれば、血液から正常な細胞はできず、変質した細胞になるだろう。こうした悪い条件がいくつかかさなって、身体の組織の細胞が少しずつ老化して、壊死にまで進むのである。
 「ライ菌に感染して体が腐敗するのではなく、細胞が腐敗して、そこにライ菌が自然発生した」というのが、千島博士の見解である。


 このように、千島学説から医学を見直してみると、今まで信じてきた伝染病の解釈もまったく異なってくる。

 通常、伝染病の感染経路が不明であっても、ウイルスが患者から発見されれば、どこかで細菌やウイリスに感染されたものと断定される。だが千島博士は、身体が弱ってくると細胞や組織が病的になり、それが腐敗の方向に変化すれば、そこに細菌やウイルスが自然発生すると説く。もちろん、はっきりした感染ルートがあり、抵抗力の弱いものだけがその病原菌にかかる(通常の伝染病)という場合もある。

  一方、流行病というのは、災害地や被災地などにおいて、身体そのものが弱っており、さらに周りの環境の激変などの影響をうけたとき、細菌やウイルスなどの病原体が身体のなかに自然発生し、伝染病と言われているものが同時多発的にひろがることを意味している。つまり、流行病とは感染病ではないことになる。

 ところが、現代医学では、こうした場合でも感染ルートを必死に探している。不良状態の身体にバクテリア、ウイルスなどの病原菌が自然発生することを認めていないからである。また、病原菌が身体のなかに入ったからといって、前述の如くかならず発病するとはきまっていない。ドイツの有名な衛生学者ペッテンコ-フェルは、それを証明するために、自分の身体を実験台にしてコレラ菌を飲んだが 発病しなかった。自分自身の体調が正常であれば、周囲から病原菌が潜入したとしても、問題はないことになる。問題なのは、正常な血液でない状況になっている自分の身体ということになる。
 ついでながら―――
 この千島学説で輸血を捉えると、医学常識が崩壊する。
 例えば、現代医学では感染ウイルスの原因を、輸血液の中にまじっていたウイルスの感染によるものだと説明する。しかし、千島学説からみると輸血による血清肝炎は、供血者の血液にウイルスがまじっていなくとも、ドロドロで汚れきった血液の輸血という不自然な影響によって起こり得るという。
 輸血直後に起こる副作用として溶血反応がある。これは不適合な輸血を受けたため、血液の中に抗体ができて、外から入ってきた赤血球を破壊し、それを溶かそうとする反応である。溶血反応が起きると、死亡率は50パーセント。しかも、この溶血反応は、防ぐことはできない。どのように適合性を調べて輸血しても、この反応がおこる場合がある。どんなに医師が努力して血液型の分類、より細かな適合性を調べたところで、溶血反応が皆無にならないのは、「血液は指紋と同じように、その内容はそれぞれ異なっている」からだ。百人いれば百人、千人いれば千人の血液型がある。単純にA型、B型などの適合型であっても、厳密には全て個人差があるので不適合となる。

 全輸血者の20パーセントに発生するといわれている血清肝炎は、輸血後五十日から百五十日の潜伏期を経て発病する。米国では、「潜在性のものを含めると年間十万人が輸血による血清肝炎にかかっているものと推定される」と報告されている。
 アメリカからの輸入血液にエイズ患者のものが含まれていないという保証はない。エイズ問題が起こったとたん、フランスはいち早く外国の血液の輸入を禁止してしまった。ドイツ、イギリスも追従した。
 「すべての病気が血液の汚れと滞りから」という千島学説から診れば、エイズもまた血液の病気である。

 宗教上の教えから輸血を拒絶する団体がある。輸血を拒否し代用液を使用している病院や患者は、信仰によるものであるが、輸血をしている病院よりも死亡率が低いという。それだけでなく、宗教的な観点からでなく、医学的な見地から判断し、輸血を避けて代用液を使用して成功している例が、外国では多数報告されている。
 「出血による赤血球の激減は、生命をおびやかすものではなく、代用液のほうが血しょうや血液そのものの輸血より実際に有効である。」( ベ-リ-博士)
 「私は二万例以上の外科手術を行ってきたが、輸血をほどこしたことは一度もない。私は普通の食塩水を多く飲ましただけである。その方がいっそう良く、また安全である。血を失ったどんな症例にもこれを使ってきたが、死亡例は一つもなかった。」(シャドマン博士)
 このように、輸血を代用液にかえて成功した例はいくらでもある。

 千島学説は、輸血について「血管内に注入された血液、特に赤血球は病巣に集まり、病的になっている組織をますます拡大し悪化させる。」と述べているので、危険性が高いことになる。確かに、「血を売る」人々もいまだに多いが、そのような人は活力がなく、汚れきった血液状態であることが想定される。ということは、血液そのもののウイルス感染の有無ではなく、その血を輸血されることによって、ウイルスに感染してしまう可能性が否定できないことになってしまう。


第4原理:細胞新生説:細胞は分裂増殖ではなく、新生する
 近代医科学は、細胞は1個の細胞から2個に分裂し、さらにそれが4個になり・・・・と細胞が分裂して増えて行くと教えている。我われもその昔「理科」「生物」の授業で学習した。これは、近代生物学の基礎となる絶対的な基本原理である。
 細胞は生物の単位である。アメーバやクロレラなどは一つの細胞、つまり単細胞でそれが生物全体である。私たち人間は、60兆(82兆ともいう)の細胞から出来ている。白血球も一つの細胞でなりたっている。細胞には核がある。

 ところが、赤血球にはこの核がない。核がないものを、細胞とみなすかどうかで医学はまったく変わるのである。
 両生類、魚類といった動物の赤血球には核があり、細胞としての条件をほぼ充たすから、細胞の仲間にいれてさしつかえない。ところが、人間など哺乳類の赤血球には核がない。これは細胞とはいえないのである。
 一方、リケッチア、ウイルスは核だけあって、周囲の細胞質がない状態であるから、これを細胞と見る学者はいない。しかし自分の子を生むという生殖能力をもっているから生物の仲間にいれてもおかしくない。ところが生物というのは細胞の条件を全て充たしたものだとみるとリケッチア、ウイルスには矛盾が生じる。これは人間の学問常識が、生命の本来もっている自然の姿を無視しているためで、「これは細胞である」「細胞でない」と、勝手にきめたのである。
 細胞は細胞分裂によってのみ増えるという常識が正しいとすれば、千島学説のほとんどは成り立たない。逆に、「細胞は細胞でないものから新しく生まれる(細胞は分裂よりも新生が主である)」という千島学説が正しければ、世界の生物学は根本から見直さなくてはならないことになる。
 千島学説では、
● 細胞は、細胞でないもの(つまり、核を持たない赤血球)から新しく生まれる。
● 細胞は、主として細胞新生で増殖する。
 というのである。

 ところが現代の生物学者は、細胞分裂を絶対の事実と信じているから、他の生物学的事実と合わなくなって、たとえば遺伝学の法則と細胞学の法則の間で矛盾を起こしてくることになる。それを何とかつじつまを合わせようとするから、ますます混乱してくるのである。
 このことは、生物学の応用学である医学にも影響し、医学界も大きな間違いを起こしているというのである。生命体の基本となるこの点を、はっきりと見きわめなければ、ホリスティック・コンディショニングの究極のアプローチも違ったものとなろう。

 間違った理論に基づいた医療では、治療効果を期待することはできないことになる。それどころか、治療がかえって逆効果になってしまうこともある。
 ドイツの病理学者・ルドルフ・ウイルヒョウは、「すべての細胞は細胞分裂から生まれる」(1859年)という学説を発表し、それがその後の生物学、医学の定説となっている。
 ガンの場合―――ガン組織には必ず正常と異なるガン細胞があり、それが細胞分裂を繰り返してどんどん増えて行くとした。つまり、「ガンの元はガン細胞。ガンは必ず局所から発生し、それが勝手に猛烈な勢いで分裂・増殖していく」ということである。

 問題は、なぜ正常細胞がガン細胞に変わるのかということであるが、ウイルヒョウはその原因に関して「慢性刺激説」を唱えた。外部からの慢性刺激が、健康な細胞をやがてガン化させて増大していくと考えた。
 ウイルヒョウが唱えたこの「ガン局所説」は、ガン細胞が細胞分裂によって大きく育っていくのだとしたら、その元になるガンの局所(ガン組織)をごっそり摘出してしまえばよいとの考えを導き出した。
 それによって、例えば、乳ガンの場合、ガン組織のみならず、ガン細胞が潜んでいる乳頭、皮膚、リンパ節、関連筋肉などを徹底的にごっそりと廓清切除してしまうという外科手術に発展した。しかし、それでも乳ガンの根治はならなかった。

 ウイルヒョウは「細胞は細胞から、核は核から、染色体は染色体から分裂によって生じる」という非常に明解な説を唱えたが、これにはっきりと異を唱えたのが、千島博士であった。千島博士は『赤血球分化説』によって、
「すべての体細胞は赤血球から造られる」
 としたのである。

 細胞は分裂によって増えるのか、それとも赤血球が分化して細胞になるのか。
細胞形成(起源)に関するこの問題は、具体的な治療方法に大きな影響を及ぼしている。
 本当にガン細胞の猛烈な細胞分裂によりガンが日々大きく成長しているのであれば、ガンを放置できないので、
□ ガンがまだ小さいうちに発見して(早期発見)、
□ 根こそぎ切り取ってしまう(摘出手術)。 あるいは
□ 毒物でガン細胞を殺したり、放射線を使って焼き殺す(抗癌剤投与、放射線療法)。
 ことが必要となる。現在、「摘出手術・化学治療・放射線治療」が盛んに行われているのは、ガン細胞が猛烈な勢いで細胞分裂を永久に繰り返していくからである、ということを根拠にしている。
 だが、
 「細胞が赤血球から作られる」ものであり、ガンが局所的な病気ではなくて「血液劣化=全身病」だという千島学説に立脚したら―――
 何よりも大事なことは「健康的な血液」に戻すことが基本となる。いかに部分的にガン細胞(組織)を切除したり殺したりしたとしても、劣化した病的な血液が次々とガン細胞化していくからである。

 このことは、ホリスティック・コンディショニングの主体をなす「正常な体軸を保持して、脳脊髄液を含む生体エネルギー循環の正常化を確保する」という理念に一致する。
 つまり、
 生体エネルギー循環を遮断して、体液をよどませる根本的な原因を排除することが、千島学説に立脚するのであれば、ホリスティック・コンディショニングはガンに対するひとつのアプローチとして、有効なものと考えられる。


第5原理:腸造血説・・・骨髄造血説は誤り。 造血器官は小腸の絨毛である
 人体には5リットルの血液がある。それが約120日ほどで入れ替わるので、1日あたり40ccの血液が生成・分解されることとなる。現在、医学界では血液は骨髄で造られると考えており、それを前提として骨髄移植や骨髄バンクが行われている。人間の血液は主とし て長骨(細長い棒状の形をした骨、大腿骨など)の骨髄で造血されるとしている。
 しかし、戦争で両手足を根元から切断した兵士に貧血が起きないことから、千島博士は「骨髄造血説」に疑問を持ったのである。

 そもそも、「骨髄造血説」は、1925年、アメリカの三人の血液学者によって発見されたものである。彼らの実験方法というのは、ニワトリや鳩を約10日間絶食させ、骨髄を観察したもので、造血作用を確認したという不自然極まりない状態での結果から導き出している。
 つまり、長期間の絶食という異常な状態での観察結果を、そのまま健康な体に適用することに疑問をもち、千島博士は、ニワトリ、ウサギ、イヌ、ネコ、カエルなどを使い、良好な栄養状態と絶食状態の時とを比較しながら実験を繰り返し、次のような観察結果を得た。
□ 食べ物の消化物が、腸の繊毛に附着し腸粘膜に吸収される過程で、アメーバに近い姿に移行する。やがて、それが赤血球に成熟し血管に流れ込む。
□ 脊髄のない動物は、骨内の柔組織「骨髄」が無いため、血球は消化器官で造られる。人間や脊椎動物の血球も「受精卵の表面の繊毛」、その後は「胎盤の繊毛」、生後は「腸粘膜の繊毛」で造られる。

 植物の場合、水分、栄養分を吸収する「根」があるが、動物の場合は、その根に該当するのが「小腸の繊毛」ということになる。

 脊髄のない動物は骨髄がないから、血球は消化器で造られている。しかし人間や脊椎動物の血球も、発生の最初の段階では卵の表面の繊毛、ついで胎盤のせん毛、生後は腸粘膜のせん毛で造られことを千島博士は発見した。
 しかし、骨髄造血説は現代医学においては基本となる考え方である。それは骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄養不足のときに、造血作用が認められるからである。
 だが、骨髄の造血作用は、真の造血ではないと、千島博士は言う。なぜなら、骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していてとても血液は造れないからだ。飢餓および栄養不足では血液が補給できないから、細胞が血球に逆戻りしているのである。“異所造血”といって骨髄以外にみられる造血作用同様の現象であり、これをもって全ての血液は骨髄で造られる、とすることにはならないとしているのである。


第6原理:生殖細胞は赤血球から造られる:遺伝は環境を重視(遺伝学の盲点)
 千島博士は、ニワトリの卵の黄身(卵黄球)が赤血球に変化(分化)し、その赤血球が生殖細胞に変化している様子を観察した。「生殖細胞でない赤血球から生殖細胞が造られている」という現象を発見したのである。そして、「精子や卵子も赤血球から造られる」ことも見出している。
 ニワトリの胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織発生を観察する場合、それまでの研究者は、胚子のウォルフ氏体(中腎)と、その付随の生殖腺を切り離していたが、千島博士はそれを切り離さずに、中腎と生殖腺を一緒にした標本を大量に作って、それらを根気よく観察しつづけたのである。
 その観察結果から、中腎と生殖腺のできはじめのものには境目がなく、組織が連続していることがわかり、しかもその周辺には、血管を飛びだした赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行していく姿を、はっきりと確認できたのである。

 細胞は細胞から生まれるというものは、生物学の最も重要な根本原理であるが、生殖細胞でない赤血球から生殖細胞が造られるという現象は、生物学だけでなく、それにつながる医学、遺伝学、細胞学、血液学の定説を根本からくつがす世紀の大発見である。
 千島博士は、実験を何度も繰り返し行い、赤血球が細胞に変わることを確認した。そして、“卵胚子生殖腺の組織発生並びに血球分化に関する研究” と題する論文を発表する。が、この論文は、日本の生物学会のすべてが、こぞって反対したという。

 しかし、赤血球が人体のすべての体細胞に変化・発展していることが事実であれば、それまで謎とされていた
「なぜ、一日に40cc(2,000億個) もの血液が失われていくのか」
 という赤血球消滅の真相(血球分化による細胞形成)や、毛細血管の先端は開放型であることなどが、論理的に整理されてくるのである。

 生殖細胞が赤血球から造られる、ということが事実であれば、生命力のカギを握っているのが
 『赤血球』
 ということになり、弘法大師空海など様々な偉人が指摘してきた血脈の生命力を、完全なる体軸の確保に向けて整える手法が、今後はさらに一段と重要視されるであろう。
 この点については、稿を改めたい。


第7原理 進化の基盤は共存共栄。進化論の盲点・・・弱肉強食思想は行き過ぎ
 千島博士は、進化のもっとも大きな力は「自然界は共生でなりたっていることだ」と指摘している。

 人間は単独では生きられない。一人で山ごもりしたとしても、衣服や塩ひとつとっても、個人で全て無から有を産み出すことはできない。衣服も誰かが作っており、塩も他の人が精製しており、それを頂いている。また、他の動植物から食糧として摂取している。人間社会は、つまるところ、お互いに助け合って生きている。これと同じで、生物の進化も、種の違う生物との助け合い、総合扶助で成り立っている。生物界を見渡しても、まったくほかの種の助けなしで生きている生物はいないのである。

 ダーウィンの進化論は、弱肉強食を根拠にするが、今ではこの説に異を唱える学者は少なくない。腹を満たした猛獣は、必要以上の殺戮は行わないし、弱者もそれを知っているかの如くお互いに共存する。また、「サルから人間は進化した」とされる考え方にも、今では多くの反論がある。

 化学的には親和力、物理的には同性電化をもつ分子の同性反発、異性索引の法則にしたがうものから、細胞のように同性、異性の区別なく、ただただ集合しようとする衝動にかられるものをも含め、すべての物質は精神をもっているという。もちろん、陰と陽の電気的単純なものから、高度に進化した人間の精神的エネルギーに至るまで、その程度は異なっているが、根本には共生がある。そしてこれは「親和力、または愛」という力によるものとなる。

 ところで、フィルヒョウが細胞理論を発表してまもなく、メンデルとモルガンが遺伝理論を発表した。メンデルの遺伝の法則は有名なので、誰もが知っている。
 「細胞核に染色体があり、その染色体のなかに遺伝子があって、それによって遺伝の基本的なパターンがあらかじめ決定されている」
 というものである。
 つまり遺伝理論は、細胞分裂を中心とするフィルヒョウ理論を土台に発展させた考え方で、本質的に「生命は変わらない」という固定観念が前提となっている。
 この考え方は当然、一つの細胞がまったく同じ二つの細胞に分裂し、それを繰り返すことで細胞は増殖する、その遺伝を決定づけるのが遺伝子であるから、元の遺伝子が変わらないかぎり、変わった形質が途中から発生することはないという結論になる。
 これが現在の医学・生物学の定説になっており、この固定観念が医療や治療現場での矛盾をはらんでいる。
 ガンやリューマチなどの難病は、本質的に遺伝子があり、この遺伝子が発現してしまうことで発病する。つまり、遺伝だから「どうしようもない」、「治らない」という考えが医学の常識になっている。この固定観念が医学理論の根底にある。
 だが、生命の源は細胞そのものにあるのではなく、細胞を新生させる血液、ホルモンや酵素、神経伝達化学物質など、細胞よりはるかに微小な超ミクロ物質のなかに存在し、それらがたえず変化と流動を繰り返しながら、細胞を維持していると考えると、まったくアプローチが異なってくる。
 親とはまったく異なる形質を受け継ぐ子供が生まれたり、同じ人間でも一代でさまざまな形質を持つケースが多発する。だが、現在の遺伝学・医学は、そういった異なる形質が出現するたびに、ド・ヴリースの『突然変異説』を持ち出してきて、因果関係を明らかにしない(できない)ことで、対処してしてきたのである。

□ 生物と無生物を区別する必要はない。自然は連続している。
 人間のからだは外界とははっきり区別できると考えるのが普通である。しかし外気は鼻の穴から気管を通して、肺の膜でガス交換を行っている。そこで酸素と二酸化炭素が出入りし、この壁が外部と内部の境界となって人間は自然とつながっている。消化器においても、口と肛門を通して外界に開いている。人間は穴のあいた竹輪のようなもので、消化器の内側は外部環境であるといえる。その消化器のなかにつまっている食物は、腸の膜を通じて内部環境である血液とつながっている。その食物が消化されたもの(食物モレラ)は、腸と絨毛とのはっきりした境をもたず、連続して移行している。この発見が“腸管造血説”となった。
 このようにすべては連続している。生物と無生物も連続している。生物と無生物との区分は、人間が勝手に決めたものにすぎないのである。
 現代生物学の定義からすれば、細菌やアメーバはどうにか生物の仲間にはいるが、ウイルスやリケッチア(発疹チフスやつつがむしの病の病原体)などは生物とはいえない。それらは、生物と無生物の限界領域にあるものともいえる。人間が勝手に区分したために、居所を無くしてしまったのである。
 本来、自然界は区切りなく連続してつながっているのである。自然界にはなにひとつ、孤立し、他とつながりをもたないものはない。生物の起源は、無機物が有機物になる時点で、そこから発展して生物に進化する。ダ-ウインの『進化論』を否定する。千島博士は、無生物が生物になる可能性を説いたのである。


第8原理 生命弁証法・・・生命現象を正しく観察するための科学方法論
 細胞は、気圧、温度、光、湿度などによる異常な刺激や、飢餓や断食による栄養分の極端な不足など、体内における環境条件が激変したり、細胞だけを人体から切り離し、そこに強い光線を照射して顕微鏡下で観察するといった不自然な状況におかれると、それこそ不自然な、平常時にはありえない現象を示すことがある。
 例えば、生命体が危機に瀕すると、自然と自己保存の原理が働いて、一時的に細胞分裂が起こることが確認されている。しかし、これは異常事態における、いわば生命存続に関わる状況下で示される現象とでもいうべきもので、本来の細胞形成(増殖)の姿ではない。
 千島学説は、このような点を十分に理解したうえで、全て綿密な観察結果から得られており、実際の観察データから革新的な結論(学説)を打ち出していったのである。

 千島博士は、「生命の形態はアシンメトリ-(非対称性)である」と言った。生命力とは動きであり、動きがあることは、すなわちアシンメトリ-(非対称性)となることを指摘したのである。
 しかし、物理学の世界では、素粒子の空間的な対称性のことを、『パリティーの法則』といって、すべての原子は左右対称とされていた。が、その後、
 原始レベルでは左右非対称(アシンメトリー)であり、パリティーの法則は成立しないことが見出された。千島博士の理論が、原子レベルで証明されたことになる。自然界における左と右は対称的にみえて、実はすべて非対称性である。人間のからだの内部、外部をみても近似的な意味での左右相称で、あきらかに形も機能も非対称性である。顔にしても、必ず左右に少しづつゆがみのあることを知っている。原子という極微の世界から、地球、天体、宇宙空間といった極大の世界に至るまで、自然はわずかに非対称性であることが分かってきた。
 千島博士は「真の美は少し不相称を含んだ相称である。不調和の調和である。完全なる調和は死に通ずる。動きがないからである」 「人間は直線を好むが、自然は曲線を好む」と言った。そして、「生命現象は波動と螺旋運動としてとらえるべきである」という結論に至っている。自然や生命の現象は、決して直線的に進むのではなく、寄せては返す波のように、月が満ちては欠け、昼と夜が繰り返すように必ず波動をもっている。その繰り返しは同じ円上をまわるのではなく、螺旋を描きひろがっていく、というのである。

 もう少し千島博士の考え方を、考察すると――
□ 細胞が分裂する映像を、我われは幾度も目にしてきたが、それについてはどのように千島博士は捉えていたのか?
⇒ 細胞の研究では、生きた身体のなかの自然な状態で観察する必要がある。実際の研究では、組織から切り出した標本、つまり死んだ細胞で行なわれている。たとえ細胞を培養器で培養し、温度も一定に保ち、できるだけ自然に近い環境をつくりだしたとしても、この操作そのものが、もうすでに全体とのつながりを切るという不自然をおかしており、細胞の真の姿や働きに対してもうその時点で悪影響を与えていることになる。
 さらに、光学顕微鏡や電子顕微鏡で、不自然な強い光線や電子を当てて観察するので、細胞は光や電気にはきわめて鋭敏な反応を示してしまう。その反応は自然の状態では決して起こさない反応となる。つまり、自然状態を乱さないで、細胞の微視的な世界を観察することはできないことになる。
 このことは、生きた細胞が分裂していく様子を、位相顕微鏡で映像化しても、それは反自然的な条件化においてのものである。自然な状態でも分裂を起こすかというとそうではない。細胞が分裂する事実を否定しているのではなくて、リンゲル氏液を使い、強い光線をあたえたなかで分裂が進んだからといって、生体内の自然な状態でも、細胞分裂によって増殖すると考えるのは、間違いであるといっている。

 エントロピーの法則とは、時間は一方向に進み、再びもどってこないことを意味している。しかし自然界にはこの法則に当てはまらない例がたくさんある。生物がそうである。体の内部と外部の間で、つねにエネルギーの出入りが自由であるからだ。
 千島博士は、このエントロピーの法則に真っ向から反対する。その理由は、エントロピーの法則は、自然の姿の片面だけしか見ていない。つまり、自然界の一方だけを支配する“死の法則”だという。自然界にはもう一つの“生の法則”がある。この“生と死”の両面の法則でものごとを見なければ、事実を見落としてしまうことを指摘している。生命弁証法とは、「全てのものは繰り返す」ということを原則にしているのである。

 千島博士は、「生命弁証法ですべての現象を説明することができる」とした。
 千島博士は、現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えたが、それは、生命や自然をありのままに見る観察眼があったからである。そこから「すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転する」ということを見出したのである。
 一人の人間をみても、子供のときから晩年まで、すべてが変わってくる。自然だけでなく、政治経済、社会生活、人間の心も常に変わる。
 ところが、現代の科学は、物事を変化しないものだとしてみている。赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であり、まったく別の系統のものだとして区別している。しかし、千島博士は「全てのものは、変化しうる」という眼をもって顕微鏡を覗いた。そしてそこに赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがさらに細胞に変化することを発見した。そればかりではなく、細胞が赤血球に逆戻りすることも発見した。
 現代医学は中間を認めないが、生物の世界では、オスがメスに、メスがオスになることはいくらでも知られている。これは、エントロピーの法則に反している。人間も、発生の時点では両性的で、まだ男とも女とも決まっていない。そういう要素を潜在的に持っていると考えられるのである。

 生物は環境によって身体のかたちや、性質を変えていく。生後に起こるような変化は、その生物の一代限りのものであって、それは子孫には伝わらないと、現代の遺伝学は教えている。そして、生物が進化してきたその変化の主因は、
 『突然変異』
 で片付けてしまっている。
 このことは、言い換えると、「よく解らない」と言っているのと同じ意味である。これでは納得できかねる。
 生物は長い年月にわたって代々、子が親に似るという遺伝と、環境などによる親の変異を子に伝えるという、この二つの要素を積み重ねて少しずつ変化して、そして進化したものである。しかし現代医学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子孫へと伝えられるという絶対的な考え方が前提となっている。
 「全てのものは、変わらない」ようにみえるのは、観察の時間が短いためである。不安定こそ生きている証拠なのだ、と千島博士は指摘する。
 「すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる」というのも基本的考え方であり、例外のない真理である。自然現象や生命現象はすべての矛盾対立をそのなかにもっているのである。全てのものにひそむ対立は、男と女のようにお互いを補い合っているが、それは決して固定したものではなく、ときにはマ イナスが、またときにはプラスが優勢になったりしながら流動的なバランスを保つ。

 生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、通常は平衡状態にある。完全な平衡状態ではなく、そのとき、そのときによってどちらか一方が力を持つ。完全な平衡状態になると死を意味する。
 老子は、「一つの道は陰陽二気を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」と述べている。対立するすべてのもの、すべての現象は、もともと一つのものが、二つに分かれたのである。そしてその二つは一つに帰するという。「自然や生命はおよそ調和しているが、少しゆがみをもっている。そのゆがみこそ生命や自然の真の波である」と千島博士は指摘しており、
● すべての自然現象は、波動と螺旋性を基礎としている。
 と結論づけたのである。
 液体である水に温度の量を蓄積させる(摂氏100度の熱を加える)と気体になる。逆に温度量のマイナス蓄積(摂氏0度)を加えると固体(氷)に質的変化する。生物の進化をみてもこの法則をみることができる。単細胞のアメーバやバクテリアはその構造や働きが単純で下等であるが、そのような細胞が約60兆集まって肉体が形造られている。

 すべてのものには経過中の中間点がある。科学は一般にはっきりしているものだけを対象にし、不明瞭でぼんやりしているものを嫌う傾向にある。明瞭なものを尊重するという科学者の精神は当然なことだが、はっきりした事実がありながら、型取りできないいために、それを不明瞭だとして排斥するのは間違っている。

 教科書には血球あるいは細胞の定形的な特性を備えた図が記載されている。しかし、実際に顕微鏡を覗いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が見える。これはいったい何なのか。おそらく世界中の組織学者や病理学者は説明できないでいる。それは
 「現代の科学が形式にとらわれてAともBともつかないものは、無意識にあるいは意識的に見逃しているからではないだろうか」
 と、千島博士は現代科学のものの見方を指摘している。

 千島学説は、その研究のすべてが現界領域にある。漠然とした、この現界領域にこそ真理が隠されている。「すべての事物には、経過中の中間点がある」ことを認識しない限り、自然の真の姿を認識することはできない。赤血球はいつまでも赤血球としか考えられないのは、地球の一部をとらえて大地は直線であると考えるようなものであるという。
 現代科学を支配するエントロピーの法則が成立するのは、宇宙がエネルギーの出入りのない有限の世界だと考える場合であって、宇宙が無限であれば成り立たない。
 老子は
 「陽きわまれば陰に転じ、陰きわまれば陽に転ず」
 と言っている。自然というものは、限界になれば次にそれを減ずる力が働き、まったく逆方向に向かう作用をもっている。
 また「色即是空」という言葉は、科学的に言えば物質とエネルギ-の関係をあらわしている。物質はエネルギーであるが、エネルギーも物質であるということと、物質はエネルギーになるがエネルギーも物質になるということである。一日は昼と夜、一年は春夏秋冬、月は満月と新月、海岸の波は満ちたり引いたりするように、この世の中のすべてのものは、成長と逆成長を繰り返してなりたっている。

 このようなものの見方をする千島学説に立脚することで、生体をベストな状態にコンディショニングする我われの焦点も、 旧態依然としたアプローチから、自ずと変化せざるを得ないことになろう。 

(づづく)

 矢野 雅知    平成20年2月20日記