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コラム26 スピリチュアル・コンディショニングを考える その1

お伊勢参りと北京オリンピック

 ホリスティックコンディショニングには、『FNC(神経‐筋アプローチ)』『FJC(関節アプローチ)』『FMC(メンタル・アプローチ)』『FRC(リカバリー・アプローチ)』の4本柱がある。だが、追求すればするほど、突き詰めれば突き詰めるほど、「スピリチュアル(霊的)」な世界に関わってくる。いや、関わらざるを得ないのである。
 つまり、『スピリチュアル・コンディショニング』のもうひとつの柱が、必要となってくる。
 この点を無視してのアプローチは―――誰が、どのように分析し、いかに表現しようとも、実態を正確に把握していない、といってよいと思われる。現代の医科学をもってしても、解明できない問題の多くが、スピリチュアル(霊的)な問題に起因する―――といったら、言い過ぎであろうか。

私自身は、霊的な世界を「全く理解しない」「理解しようともしない」典型的な無神論者であり、神社仏閣に拝礼する方々を、一歩も二歩も引いた極めて冷ややかな目で視るタイプの人間であった。
といっても、神仏を毛嫌いしていたわけではない。ただ、宗教的なモードに埋没する方々を、「何て愚かな・・・」という目で眺めていたのである。他力本願の思考が嫌いで、絶対自力こそ人の歩むべき本質であり、年を積み重ねるごとに神仏に礼拝する人々とは、結局、自分自身の弱さの裏返しを示すものであって、実生活からの逃避的行動である、と思い込んでいたのである。
もちろん、神仏の存在など頭から拒絶し、『武士に霊障なし』という言葉にこそ真実があり、「これは、霊の祟りである」などと表現されるテレビ番組などは、直ぐに他番組に切り替えるほどであった。あえて言えば―――
神仏を尊び、神仏を頼まず
 という宮本武蔵の『独行道』の一節に惹かれる程度であった。

だが、コンディショニングを深く追求するほどに、私は自分の姿勢を180度変換することを余儀なくされていったのである。
このようなことから、スピリチュアルな面については、いずれは書かねばならないと思っていたので、あえてタブーとされる世界に踏み込んでいこうと思う。

 なぜ、タブーなのか―――というのは、船井総研の船井幸雄会長(著者は数百冊に及ぶので、多くの方が何冊もお読みになっていると推察する)が、自分の研究からスピリチュアルな考え方を著書に発表すると、わが国唯一の上場会社であり、数千人の社員を擁するわが国最大のコンサルタント会社のトップであるのに、その当時は『オカルト』『迷信』などと揶揄されて、契約会社が激減したことから、スピリチュアルに関することは、一切口にしなくなったと言っている(今では、かなり深く研究した意見を述べているが・・・・)。

私は、ホリスティックコンディショニングのアドバンス講習会では、日常的にスピリチュアル・コンディショニングについて話をしており、実際に憑依された状態や降臨した状態を体験していただくことも行っているが、それは一部の方々に限られており、
「そんな非科学的なことは・・・あり得ない!」
 という立場の方には、まず説得しようとしても無理であろう。それは、自分自身の体験から理解出来るからだ(私自身が、誰がなんと言おうとも聞く耳を持てなかった)。

だから・・・・このスピリチュアル・コンディショニングに関わるコラム(シリーズとなる予定である)は、ある意味ではタブーへの挑戦であり、宗教でも何でもないのに邪教などと誤解され得ることもないではないが、「ま、そんな考え方・捉え方があるのだ・・・」程度に、気楽にお読みいただきたいと思います。

 私は、自分自身で体験してきたことや見知ってきたことを、ありのままに書き留めるつもりであり、決して「信じて頂こう」とか「こうして下さい」などとは、毛頭思っていないことをご了解いただいて、本シリーズを参考としてお読みいただければ、と思います。

今年のお盆には、お伊勢参りを兼ねて、霊気吸収の旅に出た。
といっても、私にはそのあたりの感性は低く、霊を感じることも無ければ、ましてや霊感などというものは一切無縁の人生を送ってきた。それでも、日ごろから様々な方に直接触れることが多いことから、世間一般で言うところの『邪気』に影響されない体軸の確保をしなくては・・・との強い思いから、3度目のお伊勢参りとなったのである。
また、かねてより行かねばならぬと感じていた『高野山』詣でも、兼ねていた。

 高野山―――
 わが国が生んだ偉大なる天才空海は、天皇や公家達への教化活動を辞し、晩年は都より遠く離れた高野山に移り住んだ。
 空海については、多くの方が知ることではあるが、わが国が生んだ歴史上の超人的天才である。弘法大師(通称「お大師様」)に因んだ名所旧跡は、日本各地に存在することから、少し触れておきたい。

なぜ、遣唐使の一員として名もない空海が選ばれたのか、諸説ある。空海が修行をした吉野や高野山、あるいは空海が定めた四国八十八箇所の多くから、『水銀』が出土する。水銀はその当時、金よりも高価であり、不老不死の原材料や金に変換される原料ともなったという。それを手中にして軍資金とし、多大の寄付でもしなければ、遣唐使節団の一員に無名の空海がなれるはずはない、という指摘もある。
後に比叡山延暦寺を開く伝教大師最澄も、同じ遣唐使の一員であり、彼は超エリートであった。その最澄は、後に空海を高く評価して、朝廷に推薦し、自らも弟子となっている。

 中国での真言密教の正統を受け継ぐ第七祖恵果和尚は、日本から来た一留学生に過ぎない空海を
「お前が来るのを、待っていた・・・」
 と、1000人を超える弟子を差し置いて、残りわずかな余命を知りながら、密教の法伝全てを空海に授けている。
 当時、世界一の大帝国と自負していた先進国の唐でありながら、しかも後進国から来た空海が後継者となり、恵果和尚の墓碑の碑文まで書いている。それだけではない。中国の皇帝が、世界に誇った王義之の書を削って、宮殿の壁に空海の書を書かせてもいる。

 なぜ、それほどの偉人となりえたのか。
 空海は、吉野の比蘇寺(聖徳太子が建立)で『虚空求聞持法』を修して、さらに徳島県の太竜寺で行じ、ついに室戸岬の洞窟で『虚空求聞持法』を成就したといわれる。
 この虚空求聞持法とは、虚空菩薩の真言「ノウボウ、アキャシャギャラバヤ、オン、アリキャマリボリ、ソワカ」を、100日間に100万遍唱えることで(一日12時間)、超人的な能力を獲得するといわれている(記憶力は千倍になる)。

 余談であるが、脳は4~5%程度しか使われていないが、脳のある箇所を刺激すると、数百倍に能力アップするという。確かにそれらしい反応部位が感知されるので、適切な刺激によって、もっと効率の良い能力開発の道が拓けるかもしれない。

 さて、
終戦記念日の早朝、私は高野山を歩き回った。全部で52箇所在るという宿坊(各藩の専用宿舎で、○○院と称する)――を見ながら、パワーの高いスポットを探していた。
 金剛峰寺の裏手にある、徳川家の霊廟に程近いエリアに、強いパワーが反応する鳥居があるので、辿って行くと、小さな稲荷神社であった。

   写真解説: 金剛峰寺の裏手にある小さな稲荷

お稲荷様は、一般には『狐』の神様と誤解されている。狐は、稲の荷を祭る神霊の眷属(けんぞく:手足になって働くもの)である。お稲荷様本体は、霊格の高い高級霊であるが、眷属はそうではない。ただ、一時的に霊感を高めたり、予知能力を示したりすることから、信じ込んでしまい、落とし穴に嵌ってしまう。
新興宗教の教祖が、狐系の動物霊の憑依が多いといわれるが、実際にチェックをしてみると、そのような反応を示すことが幾度かあった。

私は、自然霊である狐系の動物霊が憑依しているケースを多く診てきたので、稲荷神社にお参りすることは、ほとんどない。だが、ここは霊的に高いパワーがあると反応するので、お参りした。

 その先は、7つある高野山神域の入り口のひとつで、女人堂が在る。千年以上にわたって女性立ち入り禁止であった名残りである。昔は、これ以上は女性は立ち入れなかったのである。高野山一帯は、どのエリアでも筋反射は強く、パワーが強い。
これは、
● 印堂(眉間)呼吸が深い
 ということで、理解される。
 印堂(眉間)呼吸とは、いわゆる眉間の『第3の目』に相当する第6チャクラから、脳下垂体へエネルギーを注入するものを指す。

   写真解説: 高野山入り口のひとつ。この横に女人堂が在る。

帰途、朝の法要が始まる時間(6時半)となり、不動明王を本尊とする院で、人々が集まっている。ここには、空海が恵果和尚から受け継いだという『波切不動』が安置されている。私も、外から般若心経を唱えさせていただいた。
 不動明王―――通称、『お不動様』を祀る寺院は多い。成田山新勝寺や目黒不動など、不動明王は絶大な人気がある。私も「ノーマク・サンマンダ・・・」の真言を唱えて、クライアントの徐霊・浄霊を助けていただいている。
 というのは、
 以前、私のクライアントに七色の竜神に憑依されている方がいた。この七色竜神は極めてパワーが強く、私は当初、霊格の高い霊(高級霊)と勘違いしていたことがあり、この霊が祓いきれなかったのであろう、私に取り憑いて悩まされたことがあった。そして、冷静に分析したら七色竜神であったので、その当時の私のレベルでは祓いきれないので、目黒不動尊に行って、そこのお不動様を前にして浄霊をすることで、スーッと抜けていったことがあった。
 以来、私は不動明王のパワーを頂くことになり、浄霊のサポートを御受けしている。

 (ここから先は、私の絵空事と思っていただいて構わない)
 この高野山奥の院(空海:お大師様が入定されたままの場所を祀ってある)には、真言密教が一切の宗教や宗派を問わないことを旨としていることから、キリスト教系や神道系から浄土真宗の親鸞や日蓮宗の日蓮などの墓(分骨)もある。
 私は、密教の僧籍のお方の勉強会に参加している。以前、その方が土地の浄化する儀に立ち合わせていただいたことがある。そのとき、鈍感な私でも、明らかに周囲の空気が変わり、チェックすると神格の霊が降臨してきたことが感知された。同席した敏感な女性は、後に「本当に、私は神様の存在を感じたんです」と語っていた。
 それ以来、『南無大師遍照金剛』の真言を、毎朝唱えるようになった。

 真言(しんごん)とは、その神をあらわす言霊(ことだま)であり、古来より言い伝えられてきた魂に響くバイブレーション(波動)である。

 それ故、空海が入定して今でも眠っているといわれる奥の院での参拝は、私にとっては特別な意味があった。不思議なことに、この奥の院で、別の神霊が私の身体に反応するようになった。

   写真解説: 高野山奥の院。この先の祠にお大師様は入定されている。

ホリスティックコンディショニングの福岡講習会では、上級ホリスティックコンディショナーの西村氏にお世話になっている。氏が「とてもパワーがありますよ」という博多駅近くの東長寺(巨大な福岡大仏が鎮座する)に、初めて参詣したとき、古堂の中心に『聖天様』が祀られていた(左右は、不動明王とお大師様)。
聖天―――は、三井財閥の初代や紀伊国屋文左衛門などが信仰した神様で、極めてパワーが強い。その強さは、七代先までの栄華を、全て一代で奪い取るパワーがあるといわれるほどである。その反面、自分にもマイナス面の効力が強く、極めて穢れを嫌うことから、通常の寺院では本尊とすることを敬遠されており、個人で崇拝するのは無理といわれている。

 そのため、自分の身体に聖天様が反応しているのは認知していたが、「所詮、無理」と思っていたので、参詣した4日後にはその反応は消えてしまった。
 だが、1ヵ月後に再度参詣したときから、その真言を唱えるようにすると、サポートしてくれるようになった。自己満足に過ぎないことではあるが、真言の言霊の素晴らしさを認識するようになった(といっても、聖天様に呼応できるとは思えないので、いずれは抜けていくと思われる)。

 さてその後、高野山から熊野神社や速玉神社に参詣するが、自分に最も適した廟だけを選んで(印堂呼吸でチェックする)、最もパワーの入る位置に立つと、そこに祀られている神霊が自分に呼応してくるのが感知される。

 これについては――「ここは、パワーがある」とか「ここは、だめ!」などという私の話を、心底信じようとしなかった配偶者と、次のようなことがあった。

以前バスの観光旅行で大分に行ったときのことである。宇佐神宮に立ち寄った。宇佐神宮がどのようなものか全く知らなかったが、橋を渡るときに、その神域のパワーが高く
「伊勢神宮に、似ている・・・・」
 と感じ取れた。
ここは天皇家ゆかりの神様が祀られていて、私自身はあまり興味が湧かなかったが、最もこのスポットが「パワーがある」と反応する地点に、肩がおかしいと言っていた配偶者を立たせると、
「あら、不思議・・・・肩の痛みがスーっと取れていった」
と、配偶者はつぶやいた。
 以来、少しは私の話を信じるようになったのである。

 後に宇佐神宮について調べてみると、伝教大師最澄が唐からの帰国報告や、道鏡事件で和気清麿(わけのきよまろ)が道鏡の真意を確かめるために、わざわざ都からこの宇佐神宮にまで来たほどの地であった。宇佐神宮は、全国の八幡神社の総本山であり、伊勢神宮に次ぐ『わが国第二の霊廟』となっていた。
後で自分自身をチェックすると、確かに・・・橋を渡ったときに、私にはそこの神霊が身体に反応していたのである(それは、数ヶ月間持続していた)。
 
 このような体験があって、三度(みたび)訪れた伊勢神宮の橋を渡った、そのとき
―――私は一瞬のめまいのような感覚に襲われた。
 すぐにチェックすると、内宮に祀られている『天照大神』様が呼応している。
 伊勢神宮の聖域は、橋を渡るところから結界が張られている。東京のいやしろちである明治神宮では、外側の鳥居をくぐって砂利道を歩いていても、まだ参詣する人々の邪気が残っており、中の大鳥居から結界が張られているのとは、明らかに違う。

   写真解説: 伊勢神宮では、一般の方が立ち寄らないエリアにも、パワーのあるスポットが多い。

前回のお伊勢参りのとき、身体に『いやしろち』の高いエネルギーを充電できるありがたさを、少しは感じ取れるようになっていたので、参道の神仏具の店で、はじめて小さな神棚を購入した。それ以来、毎朝『水』を替えて、『般若心経』を唱える日々が始まった。
そうすることで――体軸が崩れないだけでなく、邪気を受けないようになった。それは、自分のバリヤーを強める方法を模索しているときに、バリヤー強化の大きな手段になる、との内なる霊魂(ハイヤーセルフ)が教えてくれたからである。

 そんな折、ある女史が、霊能者のアドバイスによって購入した江戸時代の(高い霊格の入った)吉祥天の木像を、「見せて上げる」といって、最近入手したというマリア像(女史の守護神という)と共にやってきた。
 そのとき、今でも忘れないが、吉祥天の木像の顔が「私に向かって、浮かびあがっていた」のである(これは本当である)。チェックすると、すでに一般の方を治療するようになっていた私の、「手助けをしていただける」との反応がある。所有者の女史は、私の話を信じなかった。
それなら、その木像を購入するアドバイスをした霊能者に電話してくれと頼み、
「確かに・・・・そのように反応している」
 との答えを受けて、私の元に吉祥天様の木像が来ることになったのである。

 その当時、まだ私は人の邪気を受けることが度々あった。だが、不思議なことにその吉祥天像の前で手を合わせると、スーッと邪気が抜けていくのが解った。
その後、様々な木像・銅像を購入することになり、いつしか入魂されてくることが感知されており、最近では1Mを超える大きさの十一面観音像を入手して、パワーの大きな霊格のある方にお入りいただいているが、初めて手にしたこの吉祥天像は、今でも左手(自分)と右手(仏様)を一体として、一心同体となるように拝まして頂いている。
 昔の私を見知っている配偶者などは、「あれほど(神仏に手を合わせることを)バカにしていたのに・・・・」と、その180度の変化にあきれているほどである。
 しかし、そのお陰で、今ではほとんど霊障を受けなくなっている、と思っている。

 霊障―――とは、人として生まれてきたからには、大多数の方が霊的な影響を受けるもの、と認識していた方がよい。
『機能障害』『病気』などの背後には、まずこの問題が在ると思って対処することになろうし、実際にそうすべきことが多い。

 さて、
 高野山から熊野、そして伊勢神宮へと巡ってきた旅は、今後も続けることになろうが、このときは北京オリンピックの真っ最中でもあった。

 私はかねてから、「北京オリンピックでは、中国の霊能者に軸を歪められてしまう可能性」を、講習などを通して指摘してきた。日本人選手が中国人選手と対戦するとき、霊能者を配置されて、例えば呪詛をかけられたら、
● 呪詛返しの霊能力のないレベルでは、ひとたまりもないであろう。
 と言い続けてきた。

 このことは、ホリスティックコンディショニングのアドバンスで、人のエネルギー転写を当然のように行っている方なら、ご理解できると思う。
 人の身体を歪ませるのは―――簡単にできる。
 ということである。

 ただ、そのようなことをすると、自分自身に跳ね返ってくるので、自分の首を絞めることになり、行なってはならないことは、スピリチュアルな世界では常識である。

 だが、
 本格的に呪詛をかけられたら、どうなるのか―――

 真言密教では護摩焚きがある。我われが骨模型や図などにエネルギー転写して、遠隔で操作することと共通する現象である。骨にヒトのエネルギーを転写すると、地球の裏側にいようが何であろうが、骨を修正すると、瞬時にシンクロして肉体に反応する。
 このことは、骨や神経組織を歪めれば、そのように反応してしまうことを示している。それを、確実に行い、自分自身に災いが降りかからないように・・・と、呪詛をかけながら、わら人形などに念を込めるのである。実際、多くの行者はこのようなことを行ってきた歴史がある。
 そして―――
 ヒトに呪詛をかけるということは、それを防ぐ手立てもあるわけで、それが『呪詛返し』といわれるもので、これによって多くの行者などが命を絶たれている。実際、その霊魂を封じ込めた容器などが、いまだに各地に埋まっているといわれる。このあたりのことについては、別の機会で考察したい。

 さて、北京オリンピックでは、予想外の結果がいくつか示された。
 例えば、予想を覆して女子バドミントンでは、中国の世界ランク1位のペアを打ち破る殊勲がみられたが、次の中国ペアとの対戦では、ガッチリとヒトの念エネルギーが身体に反応していた。

ホーム試合では、観客の念エネルギーが身体に呼応するので、相手選手には不利になるのは、スピリチュアルな視点からみても常識であるが、この程度で潰されていては、所詮国際舞台での活躍はできない。
だが、明らかに『呪詛』をかけられたということになると、話は別だ。その影響を受けやすいタイプとそうではないタイプでは、実践では大きな相違が示される可能性がある。これは――単に体力があるとか、ないとかのフィジカル面での強弱ではなく、霊的なバリヤーの強弱に関わる問題である。
その一例が、男子柔道100キロ超級でよもやの初戦敗退となった鈴木家啓志選手である。

アドバンス講習会で、鈴木選手を参加者に転写して、全員が北京オリンピックにおける身体状況と同一体にセットした。そして、主要な筋群のチェックを行い、どこに問題があり(脊椎の変位など)、それが身体能力にどのように関連しているかを、各自が自らの身体をもって確認した。ベストではないが、そこそこのレベルにある。
そして―――
北京オリンピックで、柔道の会場にいるものとして、再度主要筋群をチェックすると、するとどうだろう、まったく――力が入らない。
 ものの見事に体軸が崩れてしまう。そこには呪詛をかけられているスピリチュアルな反応が浮き上がっている。
 同じことが、銀メダルに終わった谷口亮子選手(通称:柔らちゃん)にもいえる。常に降臨してサポートされていた彼女は、それを阻まれるパワーの前に敗れ去った、と私は解釈した。
残り8秒まではリードしており、金メダル目前で敗れた女子重量級の塚田選手も同様である。

   写真解説: 残り8秒で逆転負けを喫して、中国選手に金メダルを奪取された塚田選手。

だが、女子レスリングで吉田さおり選手も、同じく呪詛をかけられている反応を示していたが、優勝できた。そのときの吉田選手を、受講者全員にエネルギー転写して筋力テストを行なうと、正常に強いパワーを発揮できるが、レスリング会場で行なっているイメージに切り替えた瞬間に、全員の筋力が格段に低下した。このような状況下でも金メダルを連覇した吉田選手に、拍手を送りたい。

 ついでながら、21歳にして、携帯電話の着信音は『般若心経』にしているという、男子無差別級優勝の石井彗選手は、まったくその反応が見られなかった。
 むろん、コラム22で考察した「降臨」反応は、水泳でオリンピック連覇の偉業を達成した北島選手などにみられたが、呪詛がかかった状態になってしまうと、この反応がみられなくなる。
 驚異的な世界新記録を樹立したウサイン・ボルト選手のように、明らかに目に降臨反応が示されるアスリートが、歴史にその栄光の名を刻み込めるのである。ある講習では、ウサイン・ボルト選手の映像から、参加者に彼のエネルギー体を転写した。
 その結果――全員が信じられないほどの、パワー発現能力を示すこととなった。

   写真解説: ウサイン・ボルト選手の降臨した映像。

このスピリチュアル・コンディショニングに関することは、実際に体験しないと、恐らく理解されないと思われる。理解されないから、この問題は、たぶん、黙殺されるであろう。
 しかし、実際に目に見えない裏舞台では、このようなスピリチュアルな策謀やらアプローチは、以前から行われているはずである。ただ、
 霊的なバリヤーが強く、外部からの霊的刺激を受けにくいアスリートが、最後まで生き残ってきた世界―――という観点で捉えたほうが、現実的かもしれないのである。

 私が過去にチェックしただけでも、水面下での選手同士の競い合いのなかで、念の強い選手のエネルギーを受けていて、傷害を受けやすい状態に陥っているケースは、予想を超えて多かった。
本人が無意識であっても、そのネガティブな思念は、エネルギーとして、その相手に感応してしまう。ただ、気がつかないだけであり、その原因対処に焦点を合わせようとしないから、いつまでも放置されることになり、恐らく、このようなことに誘発されて、本来の能力を十分に発揮することもなく消え去っていったアスリートは、極めて多いと推察される。

 オリンピックなどの国際大会に出場するような選手であれば、通常よりもスピリチュアルなバリヤーは先天的に強いことが予想される。だが、本格的な霊能者など、組織的にネガティブなエネルギーに曝されたら、トップアスリートでも体軸が崩され、ベストパフォーマンスは発揮できない可能性は高い。

 このような――スピリチュアルな裏の世界が認識されるようになる日は、そう遠い未来のことではないと思われる。
 それにはまず、アスリート本人がこの点をしっかりと自覚する必要がある。そして、目に見えない念ネルギーの呪縛で苦しんでいるアスリートや一般のクライアントたちを、しっかりとした体軸を確保することで導いてやるという、ある意味ひじょうに重要な役割を、ホリスティックコンディショナーが担う日が、やってくるであろう。
スピリチュアルな面から、クライアントをサポートする『スピリチュアル・コンディショニング』に関わる方々も、実際に確実に増えてきている。

そうなれば、事前に強固なバリヤーを張り巡らすことが常識化するかもしれないし、私のように『般若心経』を唱えるアスリートが増えるかもしれない。また、高野山や熊野巡りやお伊勢参りをすることが、日常的になる日がくるかもしれない。
 少なくとも、スピリチュアル・コンディショニングの重要性が、広く認識して頂けるようになることで、ホリスティックコンディショニングのカバーすべき範疇が広がってきていることだけは、確かである。


平成20年9月初旬記