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コラム7

私の推薦図書


 愛読書は何か?と問われると、すぐ思いつくものがない。ただ折に触れて、繰り返し読み返したものは何か?と問われると、そう多くはないが、いくつか挙げることができる。
 例えば、私の卒論は 『武道における禅と催眠の科学的分析』 などという誇大妄想的なテーマを掲げながら、たった一冊の本を読んだだけで担当教授に提出した。
「ふざけるな!」
と一喝された。それでも懲りずに、数ページ書き足しただけで卒論と認めてもらった経緯がある。とても卒論と呼べる代物ではなかったと改めて想う。ようするに、武道の本質は殺し合いだが、なぜ禅に帰依する武道家が多かったのか。それは、「武道の名人・達人は、殺戮の瞬間においても冷徹に行動できる鍛錬を求めただけでなく、自己催眠で誘導できる呼吸法などで全身の細胞が活性化し、年齢による動きの衰えをカバーし、瞬時に生体エネルギーが漲って行動が変化するからに他ならない。故に、私の分析では・・・・」 と大ボラを吹いた代物であった。

 その後手にした中島敦の 『名人伝』 に感動し、暗記するほど読み込んでいた。
 これは―――弓の究極の技を求める主人公が、著名な師について日々修練に明け暮れて、夫婦喧嘩をする際に、 妻の睫毛(まつげ)3本を射抜いても、妻はまったく気がつかないほどの技量に達していた。ついにこの世に倒すべき標的は、もはや師匠しかおらず、ある日師と対峙する。が、超絶の引き分けとなり、一切の恩讐を超えてハタと抱き合うことになった。
 師は
「もはや教えるべきものは何もない。さらに上を目指すには・・・」
と、はるか山奥に真の名人がいることを告げる。そして、尋ねていくのであるが、究極の名人の前では、主人公は赤子同然であった・・・・。

「少しは技を使えるようじゃが・・・ 『射の射』 はできても、『不射の射』 は知らぬとみえる」
 同じことをこの上でやってみせろという。それは、断崖絶壁の、グラグラ揺れる岩の上であった。主人公は、恐怖でへたり込むが、名人は、何事もないかのように岩の上に立つと、手には何も持たずに、はるか上空を飛ぶ鳶を目指して、まるで弓をひくかのように構えて射ると、鳶はまるで石のように落下した・・・・。
 奥の深さが伝わってくる名人の極致を知らしめた物語である。この先を知りたければ、短編であるので 『名人伝』 をお読みいただきたい。


 『ホリスティックコンディショニングNo.1(上巻)』 のメンタル・コンディショニングの最後に、私は 『猫の妙術』 をあえて載せたのは、これまた暗記するほど読み返していたもので、思い入れが強かったからである。まだ自分が若くて小生意気な20代後半に、武道や華道や茶道があるなら、自己鍛錬を道と捕らえるべきだと粋がって、「たい道」(編集者注:「たい」は骨へんに本) なるものを提唱して数年間にわたって連載した月刊誌のフィナーレを、この物語を基にして飾ったことがあった。現在の私から見れば、まだ青二才にしか見えない若僧が
「自分自身を鍛えるたい道によって、道は拓かれるのだ」
などとほざくのでは、 もはや笑止千万である。

 ところで、この 『猫の妙術』 は、荘子の闘鶏を育てる話によっている。 気が荒くて何にでもいきがる闘鶏を、王の命で最高の闘鶏に育てるものである。
 「まだか?」 「まだです。 まだちょっとしたものでも気を荒げる始末です。」 「まだか?」 「まだです。」 「まだか?」 「まだまだです!」・・・・・とつながって、「もう大丈夫です。これ以上の闘鶏はいないでしょう」 と差し出したのは、「まるで木で彫った木鶏(もっけい)のように微動だにしない」 ものとなっていた。
 はたして、闘鶏場に連れて行くと、相手は戦わずして逃げたという。
 そして―――
歴代の大横綱双葉山は70連勝を阻まれて敗れたとき、知人に
「われ未だ木鶏(もっけい)たり得ず」
と電文を打った。
 で、私もまた、「小生は、名を木鶏と号す!」 と馬鹿なことを言っていたときがあった。若僧まる出しの羞恥な時代であった。


 こんなことを書くつもりはなかったが、この手の書物が好きなのです。ご勘弁いただきたい。本題は、近年読んだ書物で、自分にとっては大いに参考となった本を参考までに紹介することにある。人によって趣向が異なるので、身体機能に関わる書物に限定してみたい。
「愛読書は?」
「はい、ドラエもんでーす。」
では、ホリスティックコンディショニングでは通用しない。単なる文学書では、教養は身についても、コンディショニングに携わる我々の知識には直接役立たない。
『カパンディ関節の生理学』 などのように、ホリスティックコンディショニングを学ぶ上では押さえておくべき書物は多いが、ここでは、いわゆる知識としての書物――例えば、『運動科学(アスリートのサイエンス)』 『生命の暗号』 『未来免疫学』 などは一般知識として読むことを推奨するが、ここで紹介するものは、従来の固定概念で物事を捉えている方には、違和感がつきまとうものとなろう。すべて特異的な立場から物事を視るのに適していると思われるものを挙げている。少なくとも私は、これらの書物によって、従来からの伝統的なパターンや視点に陥りそうなコンディショニングへの、新たな視点が拓けていった、と感じている。

 付け加えておくが、私は書物を購入するとき、『良い』 か 『否』 かをチェックしている。同じ著者の書物であっても、『否!』 の判断が下されると購入しない。中には強く 『良』 と判断されるもので、その内容は一般的には荒唐無稽と思われるものもある。例えば、「波動の法則」 (足立育郎著) はその典型である。宇宙の意志によってやがて地球は大変革するという。大多数の人は、「そんな馬鹿なことはない!」 と一笑に付すであろうが、この書は隠れたベストセラーになっており、自分の潜在意識には、強く反応するように感じた書であった。

 波動 (電磁波) に関わるものは、かなり広範囲に読んでみたが、やはり 『良否』 のチェックで 『否』 となる書は、どこかおかしいと感じられるものであった。その多くが、ビジネスの一手段として書かれているからであろうか、多くの著書を著し、波動のシンポジウムなどに列席するその道の権威が、『良』 の判定が出ないのである。実際、ある著名な波動医学専門の医師によって作られた 『波動水』 をチェックしたとき、処方された人にはまったく適合するものではなかった。そこでその専門医をチェックしたら、かなりダメージを受けているのか、軸が乱れてとても正常な波動水を提供できるレベルにないことが認識された。波動などの生体エネルギーに関わる場合、まず自分自身の体軸の確保が必須で、多くの場合この崩れから、相手の負荷 (ストレス) を受け続けてブロックできなくなってしまうのであろう。
 ともかく、以下の書籍は少なくとも自分にとっては 『良』 書であり、推薦できる書籍ですので、参考にして頂ければと思います。(技術書ではありません。気軽に読めるものばかりです。)

   

推薦図書その1 : 「いのちの輝き」 ロバート・フルフォード  翔泳社
 この本は、故ロバート・フルフォード博士 (伝説のオステオパス) の治療に対する思いを紹介しているものである。 生体エネルギーの流れを読み取れという言葉に、まだ漠然としていたエネルギー医学への道を開くきっかけとなったもので、自分が人を診るときの、大きな視点を与えてくれた本である。

 オステオパシーの歴史は、パーマーが創始したカイロプラクティックよりも古い。その起源は、日本の医術にあるとの指摘もあるが、アンドリュー・テイラー・スティルが19世紀後半に確立し、その後発展してきた手技である。ただ、カイロプラクティック同様に、メディカルドクターとの確執から、通常の医学に迎合され、今では 「本質から衰退している」 との指摘がある。つまり、オステオパシーの本質は手技である限り、人間のコンピューターに勝る認知能力で、触診によって皮膚を通して身体内部の問題を探れるように訓練しなくてはならない、というのである。だが、今では 『画像診断』 などに頼るあまり、本来の手技を伴う技量が衰退した、と著者は繰り返し指摘している。
 解りやすく言えば、今の医学の潮流に迎合することなく、人間が本質的に持っている触診技術や感性によって、生体エネルギーの微妙な流れやその流れをブロックする原因を認識できるようになるまで、自分の能力を高めなくてはならないというのである。

 現代医学の基本は、ホメオパシーすなわち 『薬剤』 の投与によって、治癒しようとするものである。
 わが国においても、『画像診断』 『血液検査』 など、幾多の検査を行って診断するが、処方は注射を含めて 『薬』 を投与することが主体である。また、悪い個所があれば、『除去』 することになる。そのため、保険点数の関係から大量の薬を処方するし、悪けりゃ取ればよい、と考えてきた。その結果、現在の様々な現代医学に対する不信感が蓄積されていった・・・・・ということである。

 ホリスティックコンディショニング協会の会員の方ならご理解いただけると思うが、仙腸関節の問題や臓器下垂、あるいは関節機能障害やそれに伴う筋の固有受容器の障害など、直接 『関節』 や 『筋』 にアプローチしなくては修正できないことが解る。これらの問題が 『薬』 で解決できるとは、到底思われない。
 いや、だからこそ、我々が指導現場で対処して、神経‐筋に適切な刺激を与えることによって、成果を挙げられるからクライアントは医者通いを止め、気休めだけの 『マッサージ』 や身体をほぐすだけの 『整体』 から、悩める人々が脱却できるのである。

 著者のオステオパスであるフルフォード博士は、現代医学に迎合した今のオステオパスに警鐘を鳴らしている。スティルやさらに脳脊髄液の流動性を突き詰めていったサザーランドのように、皮膚の上に直接触れることで、身体が発する様々なサインを読み取れる能力を養わなくてはならない、という。皮膚に触れることで、その奥深いところのカルマさえ、読み取れるようになると述べている。生まれた直後の反射や子供の頃のアクシデントなどが、閉じ込められるケースが多いと指摘している。これを開放してやらない限り、真の健康体は取り戻せないし、一時的に快方に向かったとしても、いずれまた身体に何らかの問題を生じさせるであろう・・・という。我々は、この言葉の重みを、しっかりと受け止めなくてはならないと思われる。

 読後、フルフォード博士のように全身を直接肌に触ることはできないが、エネルギー循環は読み取れるようになろうと決意した書でもある。

   

推薦図書その2 :  「あなたの細胞の神秘な力」 ロバート・B・ストーン  祥伝社
 ポリグラフ (嘘発見機) のFBI専門学者であるバクスター博士の研究を紹介したもので、植物を含めたすべての生物の細胞と会話ができるということが、この書によって知ることができた。

 本書には、博士の不思議な体験の数々が紹介されているが、東洋では 『万物に精霊が宿る』 と認知されてきたし、これに近い研究を行っているわが国の学者も少なくないようである。ただ、私にとっては、似たような事象はことあるごとに見聞しながらも、ピンとこなかった。だが、本書は新鮮な思いで読ませていただいたものであった。
 例えば、植物に愛を込めるとポリグラフはプラスの反応を示すし、これと同じ実験を他の人が行おうとすると、その植物は人の心を読んで、その意図を感知して無反応を示すこともある。しかも、はるかに離れた場所にいても、植物に愛情を注いでいると、ご主人様に何か事故が発生すると、その時刻に植物も同様に反応していることが確認されたのである。距離に関わらず、植物とご主人様は何かに繋がれているのである。心に細胞は反応することを解き明かしてくれている。同様な実験は他の科学者も行っており、電磁波という波動によって、すべての生命体はコンタクトできるし、なぜ我々が当然のように遠隔透視や遠隔治療できるのかが、この書によって確信に満ちたものとなった。

 私は、自宅入り口にある木の発育が良く、枝が大きく道路にせり出すことから、定期的に伐採している。読後その 『木』 の相性をチェックしてみたところ、悪いことが確認された。私は、この樹木に嫌われていたのである。その下を私が通るたびに、苦々しく思っていたのであろう。そこで、その木との対話を試みた。すると、木の反応は明らかに変化した (といっても、私の独断である)。だから、次回の枝の裁断では、こんこんとこちらの事情を説明して、それから 「切らしてもらう」 ようにしようと真面目に考えている。

 植物の細胞に反応できるのであるから、当然人の細胞にも反応できる。読後、私は自分自身の細胞との対話を、いや魂 (精神ではない) と言ったほうがよいかもしれないが、トレーニングなどにも取り込むようになった。例えば―――
 インクライン・カールで上腕二頭筋を強化しようとする場合、通常は15k-17.5k-20k-17.5kのフル・ピラミッドで4セットを組む。これを細胞に尋ねながら行うと、12.5k-15k-10kの3セットでOKとなる。私の従前のプログラムは、過去の感覚や願望を今だに引きずっているのであろう、50代の私にはこれが適切と教えてくれる。『インスティンクト・トレーニング法 (本能的トレーニング法)』 とは、自分の感覚を最重視してエクササイズする方法であるが、集中すると (乗ってくると) オーバートレーニングに陥るリスクもある。サイコアップすればするほど、昔の感覚が甦ってきて 「この程度なら、出来る!」 となってしまう。その結果、過大負荷 (量) でその後に苦しむことを、幾度も繰り返してきた。
 あるとき、すべてのエクササイズを終えて、「まだやることはある?」 と自分自身に問うと、「ある!」 と反応する。何だか分からない。結局、腹筋下部 (インクライン・リバース・シットアップ) のエクササイズであった。確かにこの種目は長く行っていなかった。終了後に再チェックすると、「OK!終了してよい」 となった。またあるときは、「これで終了してよいか?」 と尋ねると、「No!まだやることがある」 と反応する。結局、何年間も行ったことのない頚椎後部のインクライン・ネック・エクステンションであった。顕在意識からは、思いもよらなかった種目である。自分でチェックすると、環椎後頭関節の機能障害があり、運動後にこの問題は消失した。

 さて、そんな私的な話ではなくて、ここに一本の髪の毛が落ちていたとする。その髪の毛が 『何歳程度の』 『男性か女性か』 『どんな問題を抱えているのか』 といったようなことが、読み取れる可能性があると考えるようになった。すべての細胞のDNAには、その人固有の情報がぎっしりとつまっている。人間が本来持っているであろう未知の能力が開花されれば、読み取れるようになる、と私は考えるようになった。否定的な見解を持っていては何事も出来ないが、TVなどでFBIの超能力捜査官などが実際に示していることは、すべての人の遺伝子情報に組み込まれているはずである。ならば・・・・・・我々にも、出来る可能性は皆無ではないはずである。

 現在、個人情報の漏洩が、様々な問題を引き起こしている。最高裁でも係争中であるという。だが、髪の毛一本でも、すべて健康や疾病に関わるDNA情報が読み取られるのであれば、自分の剥がれ落ちた 『皮膚』 も 『髪の毛』 も落とせないし、爪だって勝手に切って落としておけば、どんな健康問題を抱えており、持病から心の悩みまでもが、今の科学でもある程度まで読み取られる可能性がある。
 そんな妄想をいだかせてくれる本である。

 さて、本書の著者ストーン博士は 「意識はエネルギーである」 と述べており (これについては次の書で触れる)、前世の記憶までDNAには記録されているという。
 この問題については、脳の旧皮質の反応から 「前世の記憶があるのではないか」 と、私は臨床を通じて思うようになった。少なくとも最新の脳科学が指摘するように、人類の脳のDNAには、進化の記録が刻み込まれているという説に納得できるようになった。
 私の体験を述べてみたい。ある方を診ているとき、大脳の奥深い箇所 (旧皮質) が反応して、このことが不調を誘発していると思われることがあった。残念ながらそれが何かは解らない。細胞との対応で出生時とそれ以前からのカルマが反応していた (と私には思われた)。そこで、石を使ってそれを吸収してみた。結果、その後3日間ほどその方は極度の虚脱感に襲われて、体調もすぐれなかったが、その後回復して元気になった。また、ある方は難産の痕跡なのかと頭蓋の問題を尋ねると、「今まで人に話したことはなかったのですが・・・」 と言って、「私には生まれたときの記憶があって・・・」 と前世に関わる話まで踏み込んだこともあった。こんな体験を通して、前世の記憶があるなら、古来より云われ続ける 『輪廻転生』 を頭から否定することはできないのではないか、と漠然と考えるようになった。

 「生まれ変わり」 を科学的な見地から研究している研究者は、少なくないようである。トロント大教授ホイットマン博士やジョージア大教授アルメダー博士なども、霊能者やその他宗教家、オカルト的な一切の要素を排した上で、退行催眠などを用いて科学的な検証可能なものから得た結論が、理論的に 「生まれ変わり」 は間違いなくある、と明言している。これについては、福島大の飯田史彦助教授が著した 『「生きがい」 の夜明け』 の一読をお薦めしたい。
 我々はコンディショニングを専門にするが、こと身体に関わる問題はホリスティックに捉える必要がある。このような脳やDNAに関わる問題まで、ベスト・コンディションを得るために必要となれば、追い求めていかなければなるまい。 脳が感知し、細胞に反応することを教えてくれた本書もまた、推薦に値すると思っている。

   

推薦図書その3 : 「見えないものを科学する」 佐々木茂美  サンマーク出版
 著者は科学者の立場から
「気とはエネルギーである」
と述べているが、これは他のすべての書に共通する概念である。また、すべての物体は (動物・植物のみならず石でも水でも)、振動体で波動 (電磁波) を出す。これを感知しえるという。これも、他の波動関連の書との共通語である。それゆえ、波動 (電磁波) という振動体に共鳴することで、異常部位を修復したり、あるいは遠隔治療を可能とすることになるのであろう。著者は、それを科学的見地から肯定する。

 この本によって、はじめて 『ゼロ磁場』 の存在を知った。そして、太古の文献とされる 「かたかむな」 に出てくる 『いやしろち』 『けかれち (気枯れ地)』 を思い起こさせてくれた。
 ゼロ磁場といえば、長野県分杭峠が思い浮かぶであろう。そう、この本の著者が世界的にも有数のゼロ磁場である、と断言したことから、今では有名になってしまった。そこの石ころを拾ってきた方は、すべてその不思議な体験をしているはずである。不思議なことに、ゼロ磁場の石ころを持っていると体軸のブレがない。身体が傾いた状態でも、なぜか体軸エネルギーはブロックされている状態から循環するようになる。理由は未だ未知である。

 ゼロ磁場は、プラスの断層とマイナスの断層がせめぎ合っている場所であるが、これは日本列島を1000キロにわたって縦断しているといわれる中央構造線上に在る。中央構造線とは、宇宙から地球を撮った画像に浮き上がってくるといわれる大断層帯である。分杭峠もそうであるが、あの伊勢神宮はじめ、高野山も四国や九州の霊場も古来の聖地、霊場の多くが、この中央構造線上に在るとされている。
 気の漲る場所と気の枯れる場所は、現代では測定可能となっている。例えば、ドイツのパウル・シュミット博士は、波動 (電磁場) 測定によって、とてつもなくエネルギーの溢れかえる場所を突き止めた。それは、大昔から建っている教会が在って、その教会の礼拝堂の中心が、最大のエネルギー発揮エリアだったのである。
 地上のすべての場所は、地磁気のプラスとマイナスの電位が交差するエリアが3M間隔であるとされる。エネルギーの強い 『広域碁盤目』 といわれるこのエリアと、水脈の電磁場を持つラインと、さらに 『断層』 の影響を受けている場所は、磁場が悪い。F1のシューマッハはあるホテルのスイートルームで安眠できなかった。専門家がチェックすると、このジオパシック・ストレスが強いエリアの真上にある部屋であったという。このようなエリアはガン患者が頻発するとも言われる。シューマッハは、部屋を代えることで安眠でき、優勝したというエピソードがある。
 余談ながら、犬はこのエリアを嫌うが、猫は逆に好むとも言われ、われわれは常に良好な磁場を選んでヒトに対処すべきであるから、猫がやたら目に付く場所は注意すべきであろう。

 さて、本書に紹介されたゼロ磁場からは、日本の生んだ天才科学者といわれる電子物理学者の楢崎皐月博士の研究もまたダブる。博士は、超古代文献の 『かたかむな』 を通じて、『相似像』 を発表しているが、この研究が発展して、21世紀は自然を破壊することなく現代文明に適合する道が拓かれる、とまで言われている。
 この関係書籍 (研究誌) を若い頃に読ませてもらったが、よく理解できなかった。ただ、超古代文明人は本能的に我々の理解を超える能力を備えていたようだ、という印象が残っていた。例えば、楢崎博士は韓国だかの寺で、囲炉裏で葉っぱ数枚に火を点けただけで、茶器に入った水が沸騰したのを見た。現在でも熱エネルギーの利用効率は悪く、大半は無駄になっているが、この茶器は違う。「ぜひこれを譲ってくれ」 と頼んだが 「寺の家宝である。絶対に譲れん!」 と言われたそうである。だが、「この鉄は、かって日本で作られたものだ」 と聞かされて、研究に明け暮れ、『かたかむな』 文献に繋がっていくのである。
 楢崎博士は超古代の文献を通じて、人類の未来に光明をもたらす研究成果 (「静電三法」など) を残した。この研究が受け継がれ、人類の食糧危機も回避されるのではないかと指摘されている。ともかく、なぜ古い神社、仏閣の地下には炭が埋まっているのかが、今では理解されている。我々が人々を癒せるエネルギー体となるためには、磁場のよい 『いやしろち』 で充電することの必要性も理解されている。

 さて、本書では多くの科学者から認知されていない 『宇宙エネルギー』 についても、論じている。「ある」 とか 「ない」 ではなく、「21世紀は、宇宙エネルギーをいかに活用できるようにするかである。そのためには意識を変えて取り組むことで、無限の可能性が広がってくる」と明言している。
 宇宙エネルギーとは、オカルト関係者の専門用語ではなく、この書によってわが国でも科学者が研究対象とする新時代のエネルギーの代名詞となった。我々のように、人の身体を診て、 触って、改善しようとする立場の者は、宇宙エネルギーという名前はともかく、即効で人を癒せる能力を持つことが望ましい。

 私はこのように思っている。
 ルパート・シェルドレイク (英) は、1981年に現代科学をくつがえす 「形の場による形の共鳴」 理論を発表した。当初、「荒唐無稽」 と酷評され、「奴は科学者ではない。単なるペテン師だ」 とまで言われたが、『シェルドレイクの仮説』 は生物学者、心理学者、物理学者を巻き込んだ大論争に発展し、今では 「この仮説は、正しい!」 と科学者が認知するようになってきている。簡単に説明すると、
 生物 (人間も含む) の行動パターンや物理的システムは、新たに獲得した形の場 (行動パターンなど) は、ある一定レベルまで高まると、共鳴作用となって一種の波動となって時空を超えて広く伝わっていく、というものである。シェルドレイクは、新たな場の形成と共鳴作用は、生物の 『形態 (姿や形)』 や 『行動』 だけでなく、意識や知覚レベル、原子や分子レベル、あるいは社会の構成原理に及ぶまで働きかける、と述べている。
 ある島に住むサルが、海水で芋を洗って食った行動が、海を隔てた高崎山のサルまでシンクロして、同じ行動をとり始めたり、ある実験室でようやく結晶に成功すると、世界のあちこちの実験室で同様の結晶に次々と成功していくのである。一度学習されると、他の人も容易に学習されるようになり、「場の形成」 は共鳴して広がっていく。
 遺伝でも注目すべきことがある。我々のDNAには親の情報が組み込まれているが、それ以外にも 「過去の同種 (人間も含む) の考え方、特質、思考や行動形態などを受け継いでいる」 というのである。しかも 「それを再現しながら生きている」 というのである。ユングの 『集合的無意識』 に通じる理論である。我々大和民族はその特質をDNAに持っており、サムライの魂を奥底に秘めている。ゲルマン民族とは行動パターンが違うのである。しかし、我々人類は共通した思考、特質を受け継いでいる。爬虫類のように、何の罪悪感もなく相手から食物を掻っ攫うことはない。理性が働いている。種の保存のために最低限のルールに従って生きている。

 何で長々とこんなことを述べてきたかというと、「場の形成」 が共鳴して広がり、DNAに刻み込まれるのは、一時的なブームに終わる流行りものではなく、人が 『本物』 と認知できるものであるからだ。例えば、過去に数えられないほどの音楽が作られたが、ほとんどが消え去っている。我々はモーツアルトやベートーベンの本物のクラシックに今でも魅了される。それが本物である所以であり、ヒトという生物のDNAに働きかける韻を踏んだものであるからだ。そうでないものは消え去っていく。ある実験で、正統な子守唄を理解不能な外国語で聞かせると、それらしく見せる偽ものには同調しないという。本物だけは、時代を超え言語を超えて、共鳴して残っていくことが確かめられた。
 つまり、ホリスティック・コンディショニングにおいても、我々自身が体軸を安定させて、相手に共鳴を与えられるレベルを求めなくてはならないと教えられる。また、数多くの実験で確かめられているのは、「顕在意識よりも潜在意識でキャッチしたほうが、共鳴の可能性が大きい」 ということである。つまり、相手のクライアントに対して 「こうしよう」 「ああしよう」 と事前に思考する段階を超えて、あるがままに対処して自然に相手の生体エネルギーの場の乱れを回復できるような、そんな本物を目指さなくてはならないのであろう。
 そうなれば、ホリスティック・コンディショナーが一定数に達したとき、他の人々に無意識の波動が共鳴して、ホリスティック・コンディショニングはより進化・発展していくと思われる。ホリスティック・コンディショニングはまだまだ未熟ではあるが、本物としてフィットネス界や競技スポーツ界、あるいは介護関係などにも、あまねく浸透していくことを願っている。現在フィットネス界には、わずかではあるが楔 (くさび) が打ち込まれ、共鳴の場が形成されつつある。 本物を目指すホリスティック・コンディショナーが一定数 (すべての人の意識に浸透するには、7-11%といわれる) に達すれば、次々とシンクロニシティ現象で大きな流れのエネルギー場を形成できるようになるであろう。そのためにも、本書で指摘される21世紀の革命的パワーといわれる 『宇宙エネルギー』 を有効利用できる担い手として、 我々は歩むことになろう。

 そんなことを教えてくれる三冊の書物である。   

                                      平成17年7月記  矢野 雅知