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コラム9
腰痛を考える (腰痛改善へのアプローチその2)
デカルトと東洋思想
東洋では『心身一如』といって、身体と心とは一体であり、心が身体に様々な影響を及ぼすことを説いてきた。 西洋でもそうであった――その昔は。
西洋医術の元祖といわれるヒポクラテスは、「心の病によって人は病になる」ということを述べており、東洋思想と本質的に同調しているものであった。だが、17世紀の哲学者デカルトは、すべてのことを疑いつくして知りえた真実は、
すべてを疑っている自分の存在こそ真実であり、これこそすべての哲学の原点であると開眼し、
「われ思う(疑う)。故にわれ在り」
という絶対的な命題にいきついた。
その結果、身体と心は完全に別個のもので、心の問題は宗教と哲学が扱い、身体は客観的かつ立証可能な方法で研究すべきだと、デカルトは主張した。西洋思想は、このときをもって東洋思想の根幹を成す
『心身一如』と、完全に分離したのである。
デカルトのこの教えは、今もなお西洋医学の基本精神となっている。 通常、医師は病気を身体(肉体)というメカニズムが狂い故障したとみなしており、故障の「箇所」を修復することが医師の役目であると考える。そのためには、実証可能な「科学的」な手法に基づいて、研究・実験することが絶対的な手法となってきた。
一方、東洋医学では、故障はからだ全体の正常なエネルギー循環が遮断されており、その要因は故障箇所のみならず心因性も含めた心身全体で把握しようとする。それ故、故障を起こす原因は多岐にわたることも多く、判断が異なることもある。
科学的アプローチと再現性の狭間
科学的とは再現性のあることを指す。つまり、Aというアプローチに対して、誰がやってもBという結果が得られることであり、CやDの結果が得られるようなものは、検証できない、つまり科学的でないとされている。「科学的でない・・・」という言葉は、実に冷静沈着な判断力を持つかのように思われる。が―――
100人の人間がいて、ビルの屋上から突き落としたところ、99人は地面に叩きつけられたが、ただ一人が宙に浮いて生還したとする。これは、科学的な手法では「人間は宙に浮かない生物である」と検証することになる。だが、「いや、一人浮いたのだから、人間は宙に浮くことが出来る」と主張すると、非科学的とのレッテルを貼られることになる。ガリレオがいくら「いーや、地球は動く」と主張しても、孤立無援のその当時では、『エセ科学者』のレッテルを貼られたことと同様である。
このことは、現在の腰痛の判断にも当てはまる。
腰痛は、腰椎にストレスがかかっているから引き起こされるのであり、その腰椎のストレスを和らげるために、ブロック注射やクスリで神経上の痛みを遮断したり、物理的に腰椎を伸展させて、ストレスから開放しようとする。
言うまでもなく、腰椎にストレスを与える要因については、追求されないケースが多い。例えば、仙腸関節の変位やフィクセーションによって、正常な可動性が失われた結果、腰椎にストレスがかかっているならば、仙腸関節の可動性を回復させなくてはならないし、仙腸関節にストレスを与えているものが、頭蓋や足根部に起因するのであれば、その部位の修正を行わなくては、腰痛は十分に回復しないであろう。
だが、通常の医療機関では、腰椎そのものに焦点が当てられて、腰椎の画像診断に基づき、「第4腰椎が変形しているので、これはブロック注射で痛みを軽減するか、手術で問題箇所を除去することになります」と、平然と言う。多くの場合、第4腰椎に変形をもたらすほどのストレスを与える要因については―――ことに、それが心因性の問題であればなおのこと―――
言及することはない。
腰痛はメンタル・ストレスが引き起こす?
その構造的な歪みの原因が、メンタル・ストレスに在れば、その抜本的な問題を解決しない限り、腰痛として現われている機能障害は正常化しないであろう。心の問題は、明瞭に肉体の機能障害を引き起こす。心の問題が、肉体の構造的歪みを招いているケースは実に多い。
「先生、この腰痛の原因は心因性ですから、メンタル・ストレスを解除しない限り十分には回復しません!」
と、若手のトレーナーが医学博士に訴えても、ほとんど無視されるか「生意気言うでない!」と反感さえ買いかねない。だが、心身一如は東洋哲学の叡智として、間違いなく西洋哲学を凌駕するものであり、腰痛の問題もホリスティックに捉えなくてならないであろう。
ホリスティックコンディショニングに精通している方はご理解いただけると思うが、メンタル・ストレスを解除することで、明瞭な椎間板ヘルニアの症状が消失することは少なくない。通常の軸ブレによる腰痛程度なら、メンタル・アプローチだけでも腰痛症状の大半が緩和して体軸がしっかりする。また、メンタル・ストレス解除のCDを聴かせるだけでも、脳に反応して筋緊張が解けることで、痛みから解放されることは日常的に実感していることである。
一時的でも、メンタル・ストレスを解除させるだけで、腰椎の構造的な歪み(変位など)が正常化することは、心身一如を如実に示している。
「西洋の天才は、東洋に本質的なコンプレックスがある」
と、指摘される。
西洋医学がMRIやスキャンなど、いくら高度な機器による診断機能が高まろうとも、心因性の関連を診断でき得る機材は開発されていない。しかも、実質的な対処がクスリを持って行う限り、大多数の腰痛患者を解放することは困難であろうと思われる。
メンタル・ストレス特定の難しさ
だからといって、メンタル・ストレスを科学的に検証して、「それが腰痛の主因である」との結論を下すのは、実際には困難である。デカルトの系譜では、メンタル面を含めて医学の研究では、もっぱら実験を重んじる。実験できないものは「非科学」のレッテルを貼る。こうした考えは今でも、多くの科学者の基本原則となっている。
我々の実践現場では、メンタル・ストレスを解除しただけで、体軸が回復して生体エネルギー循環が正常化することは、日常茶飯事であっても、それを誰が行っても同じ結果を導き出すことが求められる科学性という観点からは、そのことをデータ化することが実に難しい。
例えば、科学的なアプローチでは『プラシーボ効果』が必ず問題となる。20%程度までの変化だと、「プラシーボ効果による可能性があり・・・・」となって、単なる自己暗示に過ぎないと判断されうる。これは、医師と患者の関係では特にみられるものとなる。慢性腰痛に対してプラシーボ(placebo,偽薬)は強力な治療効果を有する。その効果は,医師と患者との信頼関係が深いほど高い。
「このクスリは強力だから、一発で治るよ」
って大先生が言えば、例えそれが小麦粉であっても著効を示す。ゆえに
「病は気から」
と言われている所以でもある。
口ごもりながら
「これを飲めば、少しは良くなると思うのですが・・・・」
などと、不安げに伝えると、患者の脳はその不安の波動を敏感に感知して、
「(これはダメだな)」
と潜在意識が判断してしまい、まるで効果を示さないことになる。これが現実であり、科学性云々でその効力を判定することは、確かに難しいのである。
全ての鍵は脳にある
脳が痛みを認識する。ならば・・・痛みを引き起こすのは、『脳』である。では、この脳をコントロールすれば、腰痛など様々な痛みから解放され得るのか?
アンドリュー・ワイル博士など、多くの専門家は「そんなこと、当たり前だ!」と主張する。だが、この考え方は理論としては受け入れたとしても、実際の現場では、ほとんど無視されているのが実状であろう。
我々の運動指導の現場においても、クライアントが「ここが痛い!」と言えば、
「痛いのは、これこれが原因・・・のようです」
と、どうしても痛みを引き起こしている構造的な問題を探してしまう。
「いや、本当は、痛みはないのですが、(あなたの心が)痛いと思い込んでいるに過ぎません!」
と断言することができないケースが多い。しかし、痛みを引き起こしている部位に焦点を当てて、メンタル・ストレス解除のテクニックを用いると、痛みが消去するケースが実に多い。
「あなたの心が作り出した痛みです。同情を買おうとするあなたの心の反映されたものです」
などと言う事は出来なくとも、それに近いケースは少なくないであろう。
身体を修正すると心の筋反射が落ちる例
私は次のことを幾度も経験している。
初見のクライアント(患者)の多くの主訴が、腰痛である。人体骨格にエネルギー体を転写してチェックすると、確かに仙腸関節から腰椎に問題を持つ方が圧倒的に多い。だが、そのエネルギー体(人体骨格)のメンタル・ストレスを消去して、人体に転写すると(このあたりのことは、実際に講習されないと理解しがたいと思われますが・・・)、腰部の痛みが軽減もしくは完全に消去することは少なくない。
その痛みを引き起こしている要因―――メンタル・ストレスを解除して、腰椎へのストレスを消去してしまうと、メンタルの反応が逆転する(筋反射が落ちる)ケースが少なからず在る。
つまり・・・・
腰痛であることが、自分にとって心地よいことを示しており、それは「私は、腰痛だから・・・」 「腰痛なので、無理できないのです」など、様々な逃避姿勢を反映している結果かもしれないのである。
あるとき、「もうこれで腰痛は起こりません。腰痛を引き起こしている原因はこうだったので・・・」などと説明している段階で、心理的なマイナス反応を示すので、潜在意識に入り込んでみると、「仕事場の同僚に嫌悪感を持つ方がいて、そのため仕事を休む口実としての逃避反応」であった(と思われた)。
このケースでは、その人の脳に「反発する磁場を、同調できるようにする」というアプローチを行った。心の問題は、瞬時に解決できるものではないが、このような対処が、少なくともプラスの効果を示すように思われる。
もうひとつ、自分の対処例を示したい。
どのような医療機関に行っても肩痛の痛みの取れなかった人がいた。その人は
「医者は、最後にはこの痛みは精神的なものだと決め付けるのです。ほんとに痛いというのに・・・」
ひとしきりしゃべりまくると、うなずき続けていた私に、全ての心の葛藤を発散できたのか、本人が痛いと主張し、恐らくその誘因となっているであろう機能障害の部位の反応まで、何もしないのに消去していることが感知された。そこで
「どうですか、今はもう動かしても痛みは消えているはずですよ(予告暗示)」
と振り向けると、案の定、肩を動かしても痛みを感知しないようであった。
「(こんなはずはない)」
と思ったのか、本人は「いーや、ここがまだおかしい」
と主張したが、その反応は大幅に小さなものであったはずである。あとは、少し身体に触れてやるだけで
「これで、もう問題はないはずです!」
と力強く宣言するだけで、本人の気持ちが快方に向かい、本当に機能障害は消去した。これはすべて本人が治したのであり、本人の気持ちの変化が治したもので、私はそのサポートをしたに過ぎない。
アスリートの心の弱さを理解する
このようなケースは、アスリートの指導現場でも幾度も体験している。
あるチームの中に、重要な試合が近づくと体調を崩す選手がいた。練習のやり過ぎかとの懸念があったが、前頭葉の奥深いメンタル反応にアプローチすると、機能障害は消去することに気がついた。
その選手は、試合でミスしても体調不良の言い訳の逃げ道を設定していたのと、関係者の注意を引こうという潜在意識の現われで、体調不良を引き起こしていたのである。なにげない会話を繰り返すことで、すぐに良好な反応を示したのである。
腰痛は、われわれホリスティックコンディショニングに関わる者は常に対峙する問題である。習熟すると、腰痛の構造的な問題(関節)への対処は難しくない。難しいのは、腰痛を引き起こしている原因を探すことにある。なかでも心因性に関わる要因に、抜本的に対処でき得ることが、成否を決めることになるのであれば、クライアントといかに信頼関係を築けるか、ということが大切となる。
それこそ、若いだけで通用するものではないし、年輪を重ねていくにつれて培われていく能力である、と思われる。 高齢化社会となって、多くのクライアントの年齢が高まるに連れて、その年代の方々に対して、親身になって相談を受けられる人生経験を踏んだ、それ相応のホリスティックコンディショナーが求められるであろう。
平成18年4月中旬記 矢野 雅知