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お遊びコラム 11

   「2006年窪田会長同席忘年会報告」


 宮田親分が、ホリコン倶楽部に
 「プチ忘年会開こうよ。期日は12月22日。年末で忙しいだろうけど・・・来られる人は、親ビンまで連絡しなさい」って書き込んだのが、事の始まりであった。

 「心は静かに、表は賑やかにまいりましょう!」(ハッシー)  「あっしも、参加!」(ヤー公)  「行きたーい!」(高梨ワンダ嬢)  「行く!」(橋本メンズハッシー)  「忘年会、(福岡なので)参加できません。残念でなりません・・・」(Tak)  「(岡山県なので)忘年会参加できないし・・・」(仲井・仲衛門)などが、ホリコン掲示板に書き込まれた。
 そんな折、吉備国際大学学長を辞して、「これからは、少しは自分の時間が持てるかもしれない」とおっしゃっていた窪田登会長が、講習会のために当日は前泊する予定らしい、との情報が入った。

       窪田会長

 窪田会長は、多忙のために自分の身体を鍛える時間が持てず、「それならば・・・」と、数十年間に渡って身体鍛錬をしてきた自らの肉体を、
「高齢者として、鍛錬を怠った場合、(半世紀に及ぶ鍛え上げられた)肉体はどのように変化するのか、調べてみたい」
 ということで、1年間の非筋トレ生活を行なっていた。そして、体重90キロを超えていた肉体を20キロ近く落として、高齢者が筋トレを再開した場合の変化を調べてみたい、とおっしゃっていた。
 が、学長の職を辞した後も講習会・講演活動のみならず、相変わらず執筆活動に追われて(現時点でも、雑誌などの原稿以外に、本の執筆が3本ある)、筋トレを再開することもできないまま現在に至っているそうである。

 窪田会長はここ数年来、東京に来ても日帰りすることが多く、前回は秋の叙勲で『瑞宝賞』の授与式が、皇居で行なわれるために前泊したとき以来である。このときも、ぜひ先生を囲んでお話を伺いたいと、宮畑豊サンプレイトレーニングセンター会長や遠藤光男会長など10人ほどのクボタマッスルトレーニング・アカデミーの面々が集まった。
 かなり以前のことであるが、窪田先生を中心とした『クボタ・マッスル・トレーニング・アカデミー』が発足しており、Tシャツ作成に合わせて、マークのデザインも出来上がっている。ついでなので、このときの話題の一部を再現してみたい。 以下、忌憚のない意見の一部を、紙上に再現したものである。

 「丁度今、大山倍達の伝記を読んでたんですが、窪田先生にウエイトトレーニングの指導を受けたことが書かれています。」
「・・・・中略・・・大山倍達は、弟子にはウエイトトレーニングを勧めなかったようです。からだに良くないといって。(自分より強くなってはまずかったのかな)自分ではパワー空手として、筋トレを一生懸命やっていたようですが・・・」
「だいたい格闘家の多くは、昔から筋力トレーニングをやっていない人が多かった。自分でやっていないことで、昔から筋力トレーニングを批判的に見ている傾向があった。」
「ふつうは何かというと、武道関係者は筋トレについてクレームをつけてくることが多いのですが、先生、この点はどうなんでしょうか」
窪田先生「『格闘家のための筋力トレーニング』という本を出しているけど、これについて何か言ってきたことはなかったよ」

 「自分は昔、腕にゴムチューブを巻きつけてトレーニングしましたけど・・・」
「あ、それなら、私もそう、30年ほど前に、体協の講習会で運動生理学の小野三嗣先生が、筋肉を発達させるには『血流を阻害させるように、圧迫させればよい』といっていたので、腕にゴムチューブを巻きつけてトレーニングしたところ、太くなりました。」
「私たちは、そのようなことはみんなやってきましたよ。ずーっと昔に。それが、今になって虚血性筋力トレーニングとして、注目を集めるようになってきた・・・・」
「私も、窪田先生にお聞きしてやりましたよ。・・・・そのときだったか、先生は自分の腕の脈を止めてみせてくれました。 それは、上腕を腋下で固定すればできるといってましたが、自分にはとてもできませんでした・・・」
 先生「そんなこともあったね・・・・以下略」

 「だいぶ前の話ですけど・・・、新聞に『アントニオ猪木、タイガージェット・シンと新宿で乱闘』ということで、世間で騒がれたことがありましたが・・・」
 この事件は、アントニオ猪木が女優の倍賞美津子と連れ立っていたところ、たまたま居合わせたプロレスラーでサーベルを持って気違いのように暴れるタイガージェット・シンが、新宿の街中で襲い掛かったものである。アントニオ猪木はケガをして、当時の三面記事で大ニュースとなった。本来は刑事事件であるが、プロレスラーとしての因縁もあることから、事件の決着はリングの上でつけることになり、警察は不問に付した、ということであった。
「ところが本屋で立ち読みしていて、プロレスのレフリーをやっていた高橋某が暴露本を書いていて、全てがやらせの芝居であったというのですが・・・・略」
 その暴露本には、新宿の伊勢丹前の路上に駐車していたワゴン車にタイガージェット・シンが予定通り待っており、予定通り猪木を襲って新聞沙汰となって、シン対猪木の因縁試合として盛り上げたものである。
「あ、あれね、高橋レフリーは、プロレス界追放は当たり前だけど、出版した会社がつぶれて、印税が入らなかったんだ・・・・ 暴露本出すようなことをすると世の中うまくいかないってことの見本みたいなもので云々」

 先生が上京されると、何をおいても駆けつけるメンバーの一人、サンプレイトレーニングセンター会長の宮畑豊氏は、全国区になるかもしれない勢いである。というのは―――
 10名ほどでカラオケに行ったところ、宮畑会長が例によってリクエストに応えて歌ったという。その中に音楽関係者がおり、10日後に
「この歌でCDの吹込みをやりたいので・・・」
 との案内書が送られてきた。意味が分からなかったが、その曲を聴いた宮畑会長の筋トレの弟子である長渕剛が
「これはいい!」
 ということなどが重なり、その3日後には吹き込み。CDの発売前に有線放送での契約が決まり、一気に盛り上がる可能性が高まってきたという。
 曲の題名は『おやじの拳骨(げんこつ)』裏面は『君こそわが命』(故水原弘のカムバック・ヒット曲)である。

 さて、話を戻そう。
せっかくの機会であるので、窪田会長に「(ホリコン倶楽部の)プチ忘年会に参加できませんか」と伺ったところ、
「いいよ!」
 の返事である。「先生のお話を伺いたい」という方々が日本全国にいらっしゃるが、千載一遇のチャンスに恵まれた11名は、その日のアカデミー終了後に、懇親会場に集まった。
 1次会で窪田会長はホテルに引き上げるもの―――と思っていた。それを見越して、今西副理事長が新宿のホテルまでお連れする、ということにしておいた。が、弁姫青木嬢やプロゴルファー高梨ワンダ嬢、ハッシー姉御などに囲まれてご機嫌であったのか、2次会も参加することに同意されたのである。
 2次会の会場に行く前のお茶席で、突然のつむじ風が吹き荒れた。

 「キャーッ!元気だったぁー!」
 ローズ松田嬢が広島から参入した。
 ローズは、看護士であり、柔道整復師であり、栄養士であり、今また鍼灸師を目指している。だが、
「本職は、何?」
 って尋ねると
「私? もちろん占い師よ!」
 と答える。確かに・・・名刺には「占い師」と書かれている。
 それはともかく―――

 2次会の席を確保すると、ローズは最近過去世をかなり霊視できるパワーがアップしたとかで、みんなの注目が
「前世は?」
「おいらは何だったの?」
「あたくしは、昔はお姫様だったのでしょう?」
 って、質問が集中する。

「前世? そんなことより、お腹がへったので『たまご焼き』食べるわ」
 って言いつつ、
「あたし、すごいの!ほんと、分っちゃんたんだから」
「で、何が分ったの?」
「何ってあんた・・・そんなことより、あたしはお腹が空いてるの。だから・・・たまご焼きまだ?」
 こんな会話が続くと、
「ね!先生“」
 隣に座っている窪田会長の頭を、初対面なのにいきなりさすり出す始末。
一瞬、みんな沈黙したが、窪田会長はすっかりご機嫌で、ローズ松田嬢のトーク炸裂で、爆弾トークがバンバン落ちることになった。

     会長にちょっかいを出すローズ(想像図)

 こうして窪田会長と共に過ごした2006年ホリコン倶楽部プチ忘年会は、爆笑の連続で楽しいひと時を送ることができた。
 あとでローズが私の耳元でささやいた。
「窪田先生って、すごくエライ先生なんですってね。あたし知らないから、思いっ切り頭なでなでしちゃった・・・キャハハ」

 こうして2006年の年の瀬を迎えるのであった・・・・2007年良いお年をお迎え下さい。