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塾長「禊ぎの行」体験記 ホリコンと宗教体験思うままに・・・

                              塾長こと、宮田 康範

 この私・・・ 先日、古神道の修行に参加してまいりました。私が日頃、ホリスティックコンディショニングに抱く興味と疑問に対し宗教体験を通じて何か見出すことができたのであろうか?今回は、そんな私が体験した精神世界のお話なのである。

 この私、ホリコン倶楽部の掲示板では、「塾長」などと少々偉そうなハンドルネームをヤー公様ことY先生に命名していただき、くだらないカキコミを投稿し続ける若き中年男性、宮田康範、齢44歳である!ホリコンセミナーからアカデミーへ、そして何年たっても卒業せずにアドバンスアカデミーに居座っているというホリコンの魅力にハマったひとりである。
 最初にお断りしておきたいのは、この私は人並み以上に信心深いわけでもなく特定の宗教の熱烈な信者でもなく、さらにはスピリチュアルコンディショニングといわれるものに関しての感性などまったくない人間である。たまたま若手時代より信仰としてではなく単に教養として宗教全般に興味を持っていたのは事実。しかしながら、酒は毎日浴びるほど飲み、若いオネーチャンを追い掛け回す。清廉潔白、無欲な人生と正反対の人生を歩んできた非宗教的な人間であるはず。ましてやオネーチャンにO-リングさせてみて「キャ~、スゴ~イ!」なんて言わせて喜んでいる始末。そんな俗世界の不良中年が、ひょんなきっかけから体験することとなった古神道の修行。もう一つお断りしておくが、この修行、怪しいカルト宗教によるものではなく、由緒正しく受け継がれてきた古神道によるものである。
 それは、近県のとある神社にて行われ、前泊して2泊3日、原則的には1泊2日の短期集中講座なのだが内容は実に濃い。(受講費用もビックリするくらい高いけど・・・)白装束に身をまとい、修行中ほとんどが正座を強いられ、麦飯と味噌汁と沢庵ニ切れだけの食事で携帯電話も私語も厳禁、入浴もひとり5分程度、修行なんだから当たり前だがキツかったぁ。そこから何を感じたのか思うままに筆を走らせていただくこととする。まず、古神道修行体験に至る経緯などから・・・

 あれは、数年前のこと・・・ 私は、アカデミーベーシック受講回数も進み、アドバンス受講へ進もうか、それともここで終了しようかと悩んでいた。「アカデミーの受講費用を飲み代に回したほうが楽しいよなぁ。」  「どうせオイラなんて落ちこぼれだしアドバンスを受講なんてしたら先生や他の受講生に迷惑だし。」なんてことを考えていた。そして受講生の誰かがつぶやく・・・「アドバンスって何やら怪しいよ。」 「みんな超能力者の集まりだよ。」って。今思えば怪しいものでも超能力でも何でもないのだが当時はそんなふうに感じている者もいた。当時ベーシック受講中の私たちには、時折お見かけすることしかできなかったY先生の何とも不思議な技術、凄いってことは分かるんだが一体どうなってるの?相手の問題点を瞬時にして見極めてその場で即座に対処していく。不思議だと思いながら探求してみたいとの思いが沸々と自分の中で湧き上ってきていた。そこで、当時のベーシック受講生に呼びかけた。「お~い。みんなでアドバンスに進もうじゃないか!?」 「どうせ恥をかくならみんなでイッショに恥をかこうぜ!」ってな具合。賛同したメンバーは、なんと8名。異例の8名同時に新規受講生としてアドバンスに進んだってわけ。受講が開始してしまえば、アドバンスに進もうかベーシックで終わりとするかなどと悩んでいたことがアホらしく、授業は、Y先生一流のユーモアもあり、何とも楽しい雰囲気でスゴ技を教えていただけるのだった。アドバンスを受講しての感銘は大きくは次の二つである。
 まず、人間のカラダは不思議そのものであり、あらゆるものに反応を示すってことを知ることになる。磁場や食べた食品に反応するだけなら何となく理解できなくもない。しかし、例えば水晶ブレスなどの持っているものや着ているもの、さらに梵語が書かれた紙や不動明王の写真に反応するなんて・・・ 半信半疑だが目の前で現象として見せつけられる。人様の健康をフォローしたり、選手のパフォーマンスを向上させるうえで考えなければならないことであるってこと。

 次に、先程ここで私は「スゴ技を教えていただける」との表現を用いたが、Y先生の説明はとにかく短い。(最近は丁寧になったような気がするが)ニコニコ笑いながら「感じてください。」 「愛情を込めてやってください。」ってことをよくおっしゃる。何を感じりゃあいいんだい?愛情?愛情ならあるよ。なんてことを思いながらもやり続ける。でも、その分野の感性に欠ける私にとっては何も感じない。できない。すぐに壁にぶつかる。自分にはセンスがないやと開き直ってみたとき・・・ 逆に肩の力が抜けて少しずつY先生のおっしゃることを自分が感じていることに気付いた。人間の持つ五感。何やらそれ以外で感じ取る何かがあるのか?あるいは意識の力なんてあるのか?

 アドバンスに進みこの二点の感動(疑問)を抱くこととなり、もともと(自称)研究熱心である私の興味に一気に火が着いていったのであった。とにかく本読んでみよう。的ハズレの本も多かったが数を読んでみた。「波動とは?」「超意識?」「シックスセンス?」「気って何だ?」「サムシンググレート?」 「宇宙と脳?」そんな本を片っ端から読んでいくうちに延長に「魂」やら「霊」とやらの世界にも進んでしまう。難しくて理解できないくせに、あのルドルフ・シュタイナー神智学の本にも挑んだ。さらにその延長で、私が若手時代より興味を持っていた「宗教」との接点を感じてしまうのであった。

 私の場合、もともと世界の秘密結社やユダヤ陰謀説、イスラム問題に興味を持っていた。ユダヤ教、タルムード、イスラム教、コーラン、キリスト教、聖書などの考え方を知ることなくしてはその分野は理解できるはずなどないとある人に言われたのが研究のきっかけとなったのである。当然の流れで世界宗教である仏教にも目を向けた。たまたま実家が日蓮宗であったことから日蓮聖人のゆかりの地など一人旅してみた。さらには日本人なら日本固有の民族宗教である神道へと目を向けるのであった。あくまでも広く浅くとても浅く宗教に関して一般常識程度の教養は身につけたいと思った。
 私たちはクリスマスを祝い、正月には神社に初詣、結婚式はチャペルで挙げ、葬儀は仏教、お彼岸にはお墓参りをして、子供ができればお宮参りに七五三・・・ 日本人の宗教観については諸外国の人たちからクビを傾げられる。(個人的にはそれほど悪いことではないと思うが)学校に宗教教育の時間ないことにも驚かれる。彼らにとって日本では宗教教育がなくてどうやってモラルを保つのかとの疑問があるようだが、「西洋人諸君!君たちよりも日本人にはモラルがあるさ。(最近はどうなのかな?)」なんって勝手なことを思う私である。
 私たち日本人は意識するもしないも日本人であることは事実であり精神文化の原点として、はるか縄文・弥生の時代から育まれてきた神道の考え方を知らず知らずして受け継いできたのではなかろうか?近年、社会への信頼が薄れ混乱が続き、怪しげなカルト宗教がはびこる中、日本文化の基盤を振り返りその豊かな智慧に触れてみることは価値があるのではなかろうかと・・・

 さて今回の本題である。そんな経緯でいわゆる超意識や精神世界に関する大きな興味と小さな予備知識を持った不良中年は自然と会話の中でそれらに関連したことを他人にも言うようになったらしい。すると同じ興味を持つ人間っていうのが寄ってくるもので、ある人物を介して有名タレントの奨めで古神道の「禊(みそぎ)」の修行を受けてみないかとの展開になったのだ。
 「禊」とは、「キレイ」になること。目に見えない心や運命までも「キレイ」にして、一日一日を健やかに、楽しく、明るく、生き生きと過ごすこと。たとえ仕事で失敗しても、大きな災難が降りかかっても、ある期間、しっかりとみそいで、真新しく「キレイ」になれば、また新たな人生を踏み出せるという考え方。私たちが健康でいられるのも、よき縁に結ばれるのも、学業が成就するのも、事業が繁栄するのも、「キレイな心と体」になってこそだそうだ。「禊」?罪、穢れを祓ってくれるならいいじゃないか。まさに他力本願的な思いで、誘いを受けたその場で安易に参加を即答した。
 次の文章は、修行参加前のおなじみのホリコン倶楽部掲示板への私の投稿からの一文である。「禊でキレイになったらモテるかな?」 「しっかりと修行して穢れを祓ってまいります。バッグの中にはカップ酒を忍ばせましたぁ。結果は掲示板もしくはアドアカで。いってまいりま~す!」相変わらずのふざけぶりである。ところが、そのふざけぶりが一転して青ざめることとなろうとは・・・

 修行場となる神社へ指定の時間に各自集合。瑞祥宮(ずいしょうぐう)と呼ばれる修行の館に通される。そこで、白装束に着替えさせられる。あらかじめ下着も白に指定され白い足袋も持参した。俗世間と断絶することも重要な修行であるとのことで修行中は他の修行人とも一切の私語を禁止される。もちろん携帯電話も電源OFFにされるのである。
 私の場合、まさに興味本位で参加したのだが、集まった修行人11名は何らか人生において大きな問題や悩みを抱えており「禊」をしようとしているのだろうか。あまりにも厳かで何ともいえない雰囲気に安易な気持ちで参加した自分が恥ずかしくなり気持ちを一転させ短い期間だけど精一杯に修行を体験してみようと決意。不良中年は一時封印である。
 まず、修行の指導役より修行中の注意事項などを聞く。いきなり正座である。正式なお辞儀の仕方など日本の伝統作法の指導があり、自然と緊張で背筋がビシッとなる。トイレを使用した後には手を洗うことは当たり前だが、水で清めたら次に火で清めること、いわゆる縁起を担ぐときにカチッ!カチッ!とやる「きり火」の祓いかたを習う。これは修行中にトイレを使う度に毎回やることとなる。その他、神社でお参りする際によく行う「二礼二拍一礼」の正しい作法や印の組み方(手の組み方)などを伝授される。そこで、まさに必要なのはホリスティックコンディショニングでいう体軸の確保である。神職の方々のそれは一目瞭然でビシッと軸がとれ、私たちホリコンメンバーがセルフ修正で用いる体軸デッドリフトに似た感覚である。

 さて今回の修行のメインとも言うべく祓いの行が開始である。大きな声で祝詞をあげる。喉が枯れるまでの大声なのである。「息」=「声」によって罪、穢れを吐き出す行らしい。時間にして30分くらいだろうか。時計も見ることも許されないため正確な時間は分からない。正座をして背筋を伸ばし、何度も何度も大声をあげる。空腹と寒さと正座に苦しみながらも、これを朝から晩まで幾度も繰り返す。もう喉が痛くて声なんて出ない。不思議と頭が空っぽになるような感覚で大声とともに何故だか涙が流れる。何故、泣いているのか分からない。次に霊源(丹田)にエネルギーを納めるような感覚?の呼吸法を教わる。これが何とも気持ちいい。一回の行を終えると小休止があり修行人たちは控え室で無言のまま休む。大きな太鼓の音が次の行が始まる合図。太鼓の音が鳴り響くと修行人たちは修行場へ向かうのである。
 宮司による講和では、「天地自然とは」「御霊とは」「からだとは」 「言葉とは」「息とは」あるいは「先祖のカルマ」などを説いていただいた。

 さらに、神は「火(か)」「水(み)」 火や水を用いた伝統神事を体験させてもらった。夜暗くなってからの火祥殿に導かれて炎を囲んでの行は、真っ直ぐに上がった炎を囲んで火(陽)の力を頂くというもの。(神殿には、あの人気スピリチュアルトーク番組に出演しているM・A氏の名前があった。彼?彼女?も訪れているようだ)翌日、水祥殿では絶対に目を開けてはならないという祓いの行を体験。目を閉じたままの修行人は、指導役に導かれながら立ち上がったり、移動したり、正座させられたりで何をされたのかよく分からない。眉間(いわゆるサードアイ、第6チャクラの場所)に冷たい水を浴びさせられた。神事なのだから当たり前だけど非常に神秘的な世界で、目には見えない世界をしっかりと感じていた。
 その他にももっと貴重な体験をさせていただいたのだが厳かな神道儀式についての意味など、素人の私が語ってはいけないと思うので詳細についての報告は遠慮させていただく。

 さて、ホリスティックコンディショニングを学ぶ不良中年が体験した修行・・・ コンディショニングとの関係など感じたままにまとめてみよう。今回の一連の修行を終えたときには何とも清々しい気分で頭もスッキリしていた。これまたホリスティックコンディショニングの技術で修正してもらった直後のスッキリ感と似ている。ホリコン的スッキリとは私なりの解釈では、構造的な修正はもちろんだが、軸を整えて、邪気を祓って、いい気をチャージした状態、神経系の乱れを是正し、下がっていた自身の波動が上がった状態なのではないかと解釈している。神道的な表現をすれば祓い清められた状態とでもいうのだろうか?
 今回の修行により日本の伝統作法(身体動作)による体軸確保の感動に始まり、不良中年が柄にもなく感じたことは・・・ 感謝する気持ち、謙虚であることの大切さ。Y先生もコラム22の終わりにお示しになっているサムシンググレートのサポート・・・ Y先生のコラムでは一流アスリートの神懸り的パフォーマンスや偉人たちの話に終始されていたが、私は小市民のレベルでもそれは存在するものだと思っているし、願っている。ただし、そのようなものは、日々の精進を惜しまず、天地自然に感謝し、縁(他人)に感謝し、親・先祖に感謝する謙虚な心を持って得られるということを今回の修行の講和で聴いた。(ホント、すみません。不良中年キャラ封印中です)短期集中講座の修行を受けただけだが私も内なる神性に目覚め少しはキレイになれた気がする。私たちがコンディショナーとしてトレーナーとして世の中に貢献していくには、自身の穢れを祓い波動を上げ、他人様にまでよい影響を与えさせていただく。こんなことでホリスティックコンディショニングがさらに進化していくのではないだろうか。

 最後に・・・ 確かに前述の私の日頃の興味であり疑問でもあるモノや人が人体に与える影響、さらには感じる力や想いの力は現代科学をもっても証明できない何かが動いているに違いない。私は修行体験を通じてもそう確信している。だから、みなさんとトレーニング、コンディショニング・・・精神世界までをも幅広く学習していきたい。
 神秘体験は確かに素晴らしい。その仕組みの一端に触れることは人生を豊かなものにするかもしれない。だが、それだけにとらわれると極めて危険なことにもなりかねない。世の中には怪しいカルト宗教や詐欺まがいのカウンセラーやヒーラーもいる。精神世界のテーマを拒絶する人々も多いはず。私たちホリスティックコンディショニングを学ぶ同志らは、まず体育指導者としての信頼を得るために日々精進しその知識技術を磨くことを忘れてはならないと思う。「ベースなくして大成なし」である。怪しいヒーラーに見られるような誤解を受けることなく謙虚に学習を進めることだと思う。Y先生を見習ってみよう。体育の知識・技術に関しては関係者がひれ伏す存在だからこそ、臨床の場での豊富なご経験がおありであるからこそご自身の研究について淡々と語っておられても私たちは、違和感を抱かないのである。私たちもそうありたいものである。

 修行を終え、帰りの特急列車内で早速ビールを2本飲み干した。可愛いあのコにメールもした。すでに穢れた感もあるが・・・  今回の貴重な体験をホリスティックコンディショニングの学習に少しでも活かしてみたいと思う、ちょっとマジメな面を持つ不良中年であった。(こんな話を酒でも飲んで語り合いたいね!)

                                                           以上  


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