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コラム28 私の推薦図書Ⅲ


今回は当日本ホリスティック・コンディショニング協会の会長であり、前吉備国際大学学長、早稲田大学名誉教授、文化勲章もお受けになった窪田 登(「みのる」と読む)先生の書籍を紹介したい。

 窪田先生の書籍は膨大なもので、現在のフィットネス関連の書籍の大半(筋トレから美容トレーニングやエアロビクスに至るまで)は、ほとんどが窪田先生のお書きになった内容を踏襲している、といっても過言ではない。
 ホリスティック・コンディショニングの基礎理論は、窪田先生の持論が多分に含まれており、多々啓蒙されてきたものであるし、私だけでなく、わが国のフィットネス関係者の大半が、先生の書籍で勉強してきたものである。以前は、筋トレに関する書籍では、窪田先生以外の人の本を探すことが困難なほど、大半をカバーされていた。

 フィットネス現場で活動するのでれば、筋力トレーニング――すなわち、レジスタンス・エクササイズ/レジスタンス・トレーニングの歴史的な背景を知っておく必要があろう。
 というのは、
□ なぜ、このエクササイズは、現在行なわれてないのか
□ なぜ、これほどトレーニング効果があるというのであれば、もっと多くの人が行なってよいのに、現在では行なわれていないのか
□ 今でこそ、フィットネス施設で当たり前のように中高年者がエクササイズを行なっているが、昔の人は筋トレを、なぜやらなかったのか
□ 何でそんな迷信が生まれたのか
 など・・・・様々な「 ? 」が心の中で解決されないままの方も少なくないと思う。

ただ、「このエクササイズのトレーニング効果は・・・」といったことを覚えこんで、それを人にアドバイスしている―――ということが多い。
そこには、
□ このエクササイズは、以前はこのように行なわれていたのだが、現在ではこのような問題点が指摘されている。注意すべきエクササイズである。
 といったことは、ほとんど抜け落ちている。
 そして、
 わが国のレジスタンス・エクササイズに関わる歴史的な背景を知っている人も、少なくなってきた。フィットネス現場での活動を使命としている人であれば、その歴史的背景と、様々なトレーニング・システム及びその成り立ちの経緯、あるいは各種トレーニング・システムの問題点などを知った上で、自分のフィットネス現場に活かして頂ければよいのではないか、と思う。

 ひとつ例を挙げておきたい。
 「ハック・スクワット」というエクササイズがある。窪田先生に教えていただいたこのエクササイズは、スクワットで「ディープ・スクワット(昔でいうフル・スクワット)」ができない場合に、アスリートの指導で私はよくプログラムに組み込んだものである。
 仙腸関節が正常でなく、つまり体軸が崩れて「パラレル・スクワット」も満足にできない選手には、腰にストレスがかからず、ディープ・スタイルのポジションから強化できることから、
□ スクワットを行なう。その直後に、さらに
□ ハック・スクワットを行なって、膝関節の屈曲ポジションでの強化を行なう。
 といったプログラムを組んだ。
 これは、柔道選手のような腰技を使うために、素早く相手の下に潜りこんで(つまり、膝関節の最大屈曲ポジションをとる)、相手を身体にのせて抱えあげるためには、ハーフやパラレル・スタイルのスクワットでは、十分に強化できないからである。

 オリンピックで銅メダルを獲得したある選手は、このポジションで特異的に弱かった。私は、
「このレベルでは、潜り込むと潰されてしまう」
 と指摘すると、自分でもその問題に悩んでいたようで、その数ヵ月後に、「強くなったから、もう一度みて欲しい」と依頼された。その機会はなかったが、ハック・スクワットで弱点が克服されたのであろう。

 このハック・スクワットは、昔はスクワット・ラックがなかったことから、『ロシアのライオン』と謂われたジョージ・ハッケンシュミット(初代プロレスの統一チャンピオン)が考案して行なっていたことから命名されている。
 このことは、窪田先生からお聞きして、実際に指導していただいたことがある。その成り立ちが理解できたから、その後「ゴールドジムのエクササイズ」といった本(確か翻訳されていたはずである)を取り寄せたとき、ハック・スクワットと書かれていたエクササイズは
□ ハック・リフト
 であったので、不審に思ったことがある。
本場の米国で、しかもゴールドジムのエクササイズが間違っているのか。

 当時、筋トレで分からないことがあれば、何でも窪田先生に疑問点をぶつけていたので、「これは、ハック・リフトではないですか?」と尋ねると、
「そうだよ。正確にはハック・リフトだね。この著者がエクササイズの成り立ちを知らないのだろう。
ハック・スクワットはハッケンシュミットが考案して、○○年頃に行なわれており、ハック・リフトはその後、○○年後になって、ハック・スクワット・マシーンなどが登場して、臀部の下にウエイトを保持して行なうスタイルが普及するようになってから、一般にも広まってきたエクササイズで・・・・・。
ゴールドジムの本の著者が、この歴史的な経緯を知らないから、そのままの名称で・・・・」
次から次へと、正確な年号で。歴史的な流れが語られていく。

窪田先生の脳内には、想像を絶する生きた情報が詰め込まれていることを、幾度も体験させられてきた。現在のインターネットで語られている情報は、筋トレに関わる範囲でも誤りが見られることが少なくない。それが勝手に一人歩きして、次世代にはいつしかそれが真実となって、歪められた真実が語り継がれてしまう。
例えば―――『マッスル&フィットネス誌』を主宰するジョー・ウイダーは、ボディビルディングの世界で次々と雑誌を刊行して、成功している。  彼は、「トレーニングの原則(プリンシプル)」に関する自著では、その全てに
□ ウイダーの○○の原則
 のように、「ウイダー」という冠言葉を使っている。「ウイダーのオーバーロードの原則」「ウイダーのスプリット・ルーティンの法則」など、ほとんどのトレーニング・システムに、「ウイダーの」という冠を使って誇示するのである。
 
 かつてミスター・アメリカのフィジーク・コンテストのタイトルを獲ったクラレンス・ロスは、ヘビーなウエイトを使って、「チーティング・カール」を行なっていた。スティッキング・ポイントでの制限を越える重量で行い、ネガティブでコンセントレーションして鍛え込んでいくスタイルである。
 それを観察していたジョー・ウイダーは、
□ウイダーのチーティング・トレーニングの原則
 として、アーム・カールを例に挙げて雑誌で掲載して、自分の著書としてまとめてしまうのである。

 このあたりの経緯が解らなければ、「ウイダーが、全てのトレーンングの原則を整理して、多くのトレーニーに新しいシステムとして紹介してきた。それを多くのビルダーが実際に行なって効果を試してきたのである。」
 といった文章を鵜呑みにしてしまう。
 そして、いつしかそれが真実となってしまう。ウイダーが関連する雑誌などの記事から情報を得ている大多数のビルダーやアスリートは、歴史的な経緯を知らずにインプットされてしまうことになる。

 筋トレの世界では、世界共通語が必ずしも存在するわけではない。いい例が『パラレル・スクワット』『フル・スクワット』である。
 パラレル・スクワットの定義は、「人によって」「組織・団体によって」差異がある。
□ 大腿上部のラインを、床と平行(パラレル)と定義する。
□ 膝の上部と、大腿の付け根ラインが平行とする立場に対して、過大に発達した大腿部の上部が、床と平行にするのは困難であるから、大腿下部のラインが床と平行になるのを「パラレル・スクワット」と定義する。

昔は、ハーフ・スクワットは、ほとんど「パラレル・スタイル」で行なうことを指していたが、現在では膝関節が90度に屈曲することと定義される。
 だが、ワイド・スタンスで行なうハーフ・スクワットは、パラレル・スタイルに近似してしまうし、ナロー・スタンスでのハーフ・スクワットとは、明らかに相違してしまう。スタンスによって、運動姿勢が異なってしまうのである。
 また、
□ フル・スクワットは、昔は完全にしゃがみ込んだスタイルを指していたが、今では大腿部が床と平行以下になったスクワットを、広く「フル・スクワット」と呼ぶ風潮が強い。
□ 現在では、昔には存在しなかった『ディープ・スクワット』と称するものを、完全にしゃがみ込んだスタイルとして、フル・スクワットと区別している。
 
 このように、明確な定義づけがなされていないことから、わが国では誰かが明確に整理する必要があると思われた。
それが可能なのは窪田先生をおいて他にはいないことから、我々の多くが、その点を先生に進言したのであるが、そのままとなっている。

 筋トレについては、昔は明らかに間違いということが、平然と語られていた。国体の完全優勝を目指すある県が、全県挙げて始動し始めた頃のことである。
門外漢の医師が地元のテレビに出演して、「筋トレは身体によくないから、選手はやってはいけない」と、リハーサルで言いはじめた。あきれるほど専門的な知識も見識もないのに、ただ医師だから自分の言っていることは全て正しいのである、という姿勢をみせていた。
当然、そんな昔からの迷信を言ってしまうと、地元の指導者や選手に与えるダメージが大きすぎるので、そのような発言は控えるように事前に了解してもらっていた。
が、いざ本番となると、明らかな誤解をもった持論を展開してしまった・・・・・。

 このようなことは、ある一部の問題ではなく、正しく認識していない指導者の側にも、問題があったのも事実である。
 窪田先生は、わが国におけるフィットネス、とくに筋トレの分野においては、正しい知識を導入して導いてきた方であるが、ある意味、誤解と偏見に対する闘いであったともいえる。
 一例を挙げよう。
□ 日本体育協会の講習会において、「筋トレは、身体によくない。バーベルを使ってトレーニングすると・・・・」と語り、「バーベルをもつより、砂袋を持ってトレーニングやるべきである・・・」と、本当に語っていたのである。私も日本体育協会の一級スポーツトレーナーの講習会で、そのようなことを聞いていたし、講習会のテキストにも書かれていた。
□ 当時の指導者は、「医学博士で、日本のスポーツ医科学の権威が体協の講習会で教えているのだから、間違いない」として、堂々と指導現場では間違った理論を展開していたのである。

 このような実態があったから、私が体育学部に在籍中に、筋トレを開始したとき、同僚は「身体に悪いから、やめた方がよい」と言われていた。
彼らは皆、学校の先生からそのように聞かされていたのである。体育学部の指導者であっても、筋トレを心底毛嫌いしている方が多かったことを、その当時の私は認識していた。

 私は、若い頃から各地に呼ばれて筋トレの講習会を行なってきたが、地元のスポーツ関係者との会食では、よく口角泡を飛ばす議論を闘わせていた。
 その全てが「筋トレに関する誤解」に基づくものであった。今では気にもとめないことが、若さ丸出しで生意気盛りであったので、窪田先生から伺っていた理論に反すると、黙っていられなかったのである。今では、愚かな自分を反省できるが、その当時は
「バーベルを使ってトレーニングすると、身体が硬くなって、太くて短い筋肉になってしまう。こんな筋肉は、スポーツでは使えない。無駄な努力である」
 などの意見が、実際に多かったのである。
 それなのに
「腕立て伏せは、やってはダメなのですか?」
 と、問うと
「それならいい。だが、ベーベルはダメだ」
 と、まるで理屈に合わないことをいっている方が多かった。

 今でも、小学生に腕立て伏せをやらせても、バーベルでベンチ・プレスはやらせてはならない、と平然と主張する方も多い。
小学生の高学年になったら、
「身体の筋バランスをとって、障害を防ぐためにも、小学生の筋トレは必要です」
 と言うと、トレーニングの基本原則や基本的な知識が不十分なために、理解できない方も少なくない。
 また、
「高齢者ほど、筋トレが実際には必要なのです」
 と言うと、まだ大半の方が受け入れがたい雰囲気が伝わってくる。

 このようなことは、全て窪田先生がずーっと昔に著書に書いていることである。それを今になって、新しい意見のように展開しているに過ぎない。
 外国からの情報が正しくて、わが国のスポーツ医科学の理論が遅れているとの認識は、ある意味私は支持していた。だが、こと筋トレに関する限り、窪田先生が最先端の情報を昔から我々に提供してきてくれていたので、正しい判断をもって、正しく認識できるバックボーンを得ることができていた、と思っている。

もし先生がお亡くなりなられたら、私などが知らない、恐らくフィットネスに関わる膨大な資料とともに埋没してしまう。あまりにもそれは惜しいと思う。
先生の書籍だけでも広い自宅に収まりきらず、書籍・資料を専用に収納するためのマンションさえある。いずれ岡山大学に寄贈して、「窪田記念図書館(?)」を設立するとの話しが話題に上っている。もしそうなれば、日本におけるフィットネス――特にレジスタンス・エクササイズに関わる歴史資料を調べるには、そこに行けば、ほぼすべてが解決されるかもしれない。
日本における最初の筋トレの本は、講道館の加納治五郎が持ち帰った資料を基に発刊された小さな本である。その貴重な本も、そこに行けばみれるであろう。

 さて、膨大な数の先生の著書の中から、薦めておきたい本がある。
 窪田先生の書かれた文章は、基本的に誇張やフィクションはない。文章にできなかった歴史的な事実や、様々な真実は、話の中で語られてきた。そのような事柄を少しでも残しておこうと書かれたのが、
「筋力トレーニング50年史」(体育とスポーツ出版社)
である。
 筋トレには、様々なトレーニング・システムがあるが、正確に学ぶには、ぜひ一冊も保持しておきたい本である。やや高い本であるが、娯楽費を削って購入されることをお薦めする。
この中で、窪田先生の知識の一端が示されている。といっても、この本は分厚い辞典のような書籍である。

 本書では、あまりにも大き過ぎる、と思われる方には
 「肉体改造並びに体力増強のしかた」(体育とスポーツ出版社)
 が、この4月に出版された。
 この書もまた、窪田先生が歩んできた昭和の激動期から平成の現在まで、多くの示唆にとんだ記述が見られるので、一読をお薦めする。

 我々は、列車で旅をするときは、指定席を確保するのは当然と思っている。だが、その昔は立ちっぱなしで、身動きが取れない状態で乗ることは、当たり前であったという。発展途上国で、列車に乗り切れず、人々が外にぶら下がっている情景をテレビ画面などで見ることがある。このような状況であったと思えばよい。
高校生であった窪田先生は、当時の筋トレの大家に教えを請うために、何時間にも及ぶ過酷な旅を、「強くなりたい」一心で、岡山県から京都まで通い続けた・・・・という。
 これほど強い情熱があったから、後にわが国のフィットネス界を牽引していくことになったのだ・・・・と、この話を先生から聞くたびに、自分自身を奮い立たせようとした思いが甦る。

 幸いにも、私は窪田先生の近くにおり、直接ご教授してもらう機会に恵まれていたので、多くの示唆に富んだ話を伺うことができた。
 少し当時のことを振り返ってみたい。

 私は、20代の頃からトレーニングに関する記事を、ある雑誌に6年間以上にわたって連載していたことがある。その中で、
「極真空手と筋力トレーンング」と題して、凄まじいエクササイズの一端を紹介している。
そのきっかけは、極真空手の初代世界チャンピオンになった佐藤勝昭師範が、国立競技場トレーニングセンターに、やって来て
「世界の強豪と戦うには、今以上の体力が必要なのです。それには、大山館長と親交がある窪田先生にご教授願いたいと思っています。私自身も窪田先生の本を読んでトレーニングしてきたのです」
 と、語っていた。
その佐藤師範は、今ではめったにお目にかかれない鉄ゲタを履いていた。

 極真空手の世界大会の前年に行なわれた全日本選手権大会で、佐藤師範は予想通り優勝。第1回の世界大会の本命となった。このとき私も間近にいたが、大山倍達館長が立ち上がると、周囲の取り巻きは「オス!」「オス!」の連発となって、人の輪が動く。そのとき
「大山さん・・・」
 と窪田先生が声をかけると、
「あ、窪田先生!」
 館長は立ち止まった。が、話し込める状況でなく、人垣が通り過ぎていった。

 私も当時は若かったので、トレーニングはガンガンやっており、極真選手と一緒に混じってやることもあった。メディスンボールを、頭上に振り上げて、腹の上に叩き落すドリルも手伝ったが、選手より疲れるのでは・・・・と思った記憶がある。
 窪田先生が指導主任をしておられたトレーニングセンターは、その後極真空手の筋トレのメッカとなり、全日本3連覇を果たした三瓶啓二師範や世界チャンピオンとなった天才的空手家緑健二師範。八巻健志師範。19歳で全日本を制し、100人組み手を達成しながら、世界大会では後にプライドで活躍したフィリオ(ブラジル)と決勝で死闘を演じた数見肇師範など、幾多の人材が超ハードなエクササイズを行なっていた本拠地でもあった。
 私も彼らのエクササイズのアドバイスや、パートナーを幾度も行なったが、通常ではオーバートレーニング症候群になる可能性があって、他のアスリートにはまず薦められない内容であった。

 さて、未公認ながら世界記録となるおよそ265キロの「寝差し(ベンチ・プレス台は当時は存在せず、床の上で行なっていた)」を行なっていた若木竹丸先生に、極真空手の総帥大山館長は、直接弟子入りして筋トレを教わっている。
 若木先生は、ひじょうに謹厳実直なお方だったので、
「大山は・・・・」
と裏の素顔を知っていることから、快く思っていなかった。
 
 若木竹丸先生――――忘れられない武人であった。
 私は、「怪力法と若木竹丸」と題して、1年間にわたり雑誌に連載した。超ハードな筋トレで、数々の武勇伝を残し、空前絶後の怪力を謳われた氏は、「床の間」にバーベルを安置している方であった。
 昔、「勝ち抜き腕相撲」というテレビ番組で、南波氏(山形市在住)が72人抜きをやっているとき、その南波氏を破ったのが、ボディビルディングの学生チャンピオンとなった吉見正美氏(現在ロスでカイロプラクティック開業)である。
 彼は、腕相撲では信じられないほど強かった。片手で60キロのバーベルを持ち上げた。また、その当時体重が90キロ位で、片手でロープにぶら下がり、他方の手で25キロのダンベルを保持したのである。

 20kgシャフトでの60キロのバーベルを、実際にやってみるとよい。まず、バーは回転してしまい保持できない。いかにこれが至難の力技か理解できるであろう。
アームレスリングで世界を制した先の南波氏も、挑戦したが「出来なかった」と語っている。

 25kgのダンベルを保持して、ロープに片手でぶら下がったことを窪田先生に報告すると、
「それは、強いね!」
 と、おっしゃられた。
 アームレスリングのプロで、無敗のまま引退したマック・バチュラーは、実際に片手でコインを折り曲げて、次々とビンの中に放り込んだという。バチュラーの握力は強すぎて、正確に測れなかった、という(漫画でコインベンディングをやったという空手の館長は、あくまでも漫画の世界での話である)。
 そのバチュラーが、最も困難な力技は、「片手でロープにぶら下がることだ」といっている。彼は体重130キロを超えていた。
このことを知っているので、窪田先生はそのようにおっしゃられたのである。

 さて、その吉見氏が若木先生(その当時62歳)を尋ねたとき、ストレートアーム・プルオーバーをやらされた。若木先生は60kgで行なったという。さすがの吉見氏もそれはできなかったという。

 若木先生は、ボディビルディングがブームになった頃に、窪田先生とその当時珍しかったバーベル運動を実演するために、各地に呼ばれたことがあったという。そのとき、ベンチ・プレスで130キロぐらいのバーを持ち上げて両手を離し、胸の上に落として、バーをひん曲げてしまったことや、ロープで身体をぐるぐる巻きにされて、両側からひっぱってもらった刹那、筋肉を膨張させてロープをブチ切ってしまい、ロープを引っ張っていた二人はどっと後ろに倒れこんだ話しなど、また窪田先生との武勇伝など語ってもらったことがある。
 窪田先生の著書にも若木先生は登場するが、窪田先生が早稲田の学生時代から入り浸っていた頃からのお付き合いで、窪田先生が本当に酔ったのを、若木庵で幾度も眼にしている。

 若木先生の著した「怪力法」は、当時の格闘家(力道山、豊登など)の座右の書となっていたが、広く一般国民に向けて筋トレを啓蒙するという使命は、窪田先生に託された。  若木先生は、窪田先生を「クボタくん」と呼んでいたが、あるときから「先生」と呼ぶようになったという。「日本には、窪田先生のような人物が必要なのだ」と、私に語ったことがあった。

 そんなこんなで・・・・話は尽きない。NSCAジャパン設立に関わることでも、窪田先生は理事長に就任して、名誉顧問に三笠宮寛仁親王殿下をお迎えしたときも、
「窪田先生、日本のフィットネス界発展のために、これからもお願いしますよ。私も助力しますので・・・・」
 とのお言葉をいただいている。

 わが国のフィットネス界の盛衰を、実際に目の当たりにし、平成の世になっても、全国各地を講習で巡り、本や雑誌の執筆に多忙を極めてきた先生の話は尽きない・・・・だが、このたりで筆を折ろう。


平成21年4月記