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コラム42

歴史を考える 3(竜馬暗殺と写真分析)


 その昔、20歳頃だったろうか、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読んで、感動した記憶がある。その流れから、海音寺潮五郎の『勝海舟』や、さらには幕末の尊王攘夷の志士達に影響を与えた『日本外史』に触れるなど、熱い自分に酔っていた時期がある。
 今年(2010年)のNHK大河ドラマは『竜馬伝』であり、あらためて坂本竜馬という人物の、国民の人気の高さが判る。
 竜馬は、当時の人々の意識が、その地域(藩)に限定されていた時代を超えており、「日本」としての視点を持っていた数少ない人物である。彼の背後にはグラバーらを通じた「英国の戦略」があって、幕府の背後にあるフランスとの代理戦争の観は否めないが、世界史においても奇跡的な政権交代を成就した、陰の立役者であることは間違いない。
 
 私が学生時代――正真正銘の青二才の頃に、
「世の人は 我を何とも言わば言え 我がなすことは われのみぞ知る」
 という竜馬の言葉を書き写して、財布に入れていた時期があった。
 何とも滑稽であるが、それほどのインパクトを小説『竜馬がゆく』で与えられたのである。

 その後、やはり司馬遼太郎の『花神』(長州藩の大村益次郎が主人公)を読んで、強く魅了された。
 村田蔵六(後の大村益次郎)は、緒方洪庵の適塾で塾頭を務めたくだりは、その当時、安穏として日々を過ごしていた自分にとって、カンフル剤となった。
 また、適塾の塾頭を死守するために、福沢諭吉は塾の机の前で食事を摂り、夜を徹して勉学に励み、机の前で寝ていたという。
「天は、人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」
 との名言を
「天は、ヒトの上にヒトをのせて、人を作る」
 と、笑っていた自分を、恥ずかしく思った記憶がある。
 
 長州藩は、大村益次郎の天才的な軍事戦略で、上方からの幕府の大軍を打ち破り、九州方面からの敵軍に対しては、これまた傑出した天才・高杉新作によって、奇跡的な勝利をもたらした。
 
 高杉新作は
「おもしろき ことも無き世を おもしろく」
 との言葉を残している。
 私は今、
「おもしろき この世をさらに おもしろく」
 と、毎日が楽しくて仕方ないが、あまりにも甘すぎると自粛の感が常に在る。

 というのは―――
 維新当時の実情はきわめて悲惨であったようで、通常の小説などでは描写されない激動の中で生まれた高杉の言葉の重さを、受け止めなくてはならないであろう・・・と思うからだ。
 
 吉田松陰の松下村塾(下級武士が主体)に、上級武士である高杉は、近寄ってはならぬと言われていたので、家族にも気づかれぬよう、密かに松陰の薫陶を受けていた。
 吉田松陰は、当時の現状から推して「日本の改革など不可能である」という常識を覆して、過激な行動で示している。「常識では、とても無理!」と思えることでも、死をも厭わずに実行に移し、後を弟子に託している。
 斬首された遺体を引き取りに伊藤俊輔(後の伊藤博文:初代総理大臣)らが、ようやく許しを得て、首と胴体が切り離されて、血で真っ赤に染まった全裸の遺体を泣きながら運んだという。

 この松陰の無謀と思えた行動が、長州藩の尊王攘夷運動になって、やがて世界史の中でも奇跡的な明治維新につながっていったのであるから、陽明学のように、理論・理屈よりも行動・実践を是とし、実践行動を通して道を拓いていくことの大切さを教えてくれる。
 
 
 維新成立後は、長州藩対薩摩藩あるいは土佐藩などの政権抗争が裏面史にある。
 自由民権運動の板垣退助(土佐藩出身の倒幕派)などは、薩長出身者が政府中枢を掌握していたので、その不満から反旗をひるがえしたものであり、このときすでに坂本竜馬(土佐藩出身)は抹殺されており、その人物の活躍は世に知られていなかった。
 だが、竜馬の建白した日本国家の真髄となる「船中八策」は、後の明治政府に取り入れられており、坂本竜馬が望んだ日本国改造は果たされた。
 
 
 維新政府の凄さは、官軍に徹底抗戦した敵側の人間を
「あの男は、日本の役に立つ。(敵側ではあるが)生かして日本のために働いてもらおう」
 という気概があったことである。
 
 幕府軍として、最後まで徹底抵抗した榎本武揚は、函館の五稜郭で、ついに降伏を決意した。
 このとき、オランダ留学時代から肌身離さず携えていた「万国海律全書」(自らが書写し数多くの脚注等を挿入)を戦災から回避しようと蝦夷征討総参謀黒田清隆に送っている。榎本は死を覚悟していたが、日本のためにこの書が必要であることは明らかであったからだ。
 黒田は榎本の非凡な才に感服し、皇国無二の才として断然助命しようと各方面に説諭、その熱心な助命嘆願活動により一命をとりとめ、投獄された。
 榎本は、後に子爵となり、日本国の近代化に生涯を捧げている。
 
 また、福沢諭吉は、幕府の咸臨丸で米国留学を果たしていながら、幕臣であった勝海舟や榎本武揚らに批判的であった。が、その福沢も、助命に尽力したひとりでもある。
 福沢は黒田から前記「海律全書」の翻訳を依頼されたが、一瞥した福沢は、その任に当たるについては 「榎本の他にその資格なし」として辞退したと伝えられている。
 
 また、維新の十傑の一人である大村益次郎は、函館戦争で榎本と共に最後まで徹底抗戦した大鳥圭介を、
「大鳥もやはり助けねばならぬ。どうしても官軍に抵抗して一番強いが、後日のために尽くすならば、大鳥は一番賊のうちで役に立つ」
 と述べ、彼の才能を惜しんで減刑に奔走したという。
 大鳥圭介は、緒方洪庵の適塾の後輩であり、その人物を知っていたからである。大鳥(後に男爵)は、日清戦争において外交交渉にあたるなど活躍している。
 
 当時の日本人には、サムライとしての大義の魂があり、個人の感情を超えた「日本」という意識があったからであろう。
 これは・・・日本国という意識が、日本人には本能的に刷り込まれている・・・からだろうか。
 
 どこの国であっても―――例えば、米国のような移民の国は、国際大会などでは「U(ユー!)S(エス!)A(エー!)」のコールがたちまち起きるような背景には、星条旗のもとに、一致団結させる信念を植えつける教育理念がある。
 それが国民を導く最良の手段の一つであることは、間違いないからである。
 
 我々日本人には―――
 漠然とではるが、どの家であっても、家系をたどれば平家であったり、源氏であったり、その先には皇室・公家の関係者につながっているという意識があった。少なくとも、私がガキの頃にはそのような風潮が残っていた。
 田舎の家に行くと、先祖の写真の他に、天皇陛下などの写真が飾られてあった。それは、当り前の原風景として記憶に残っている。
 
 だが、
 そのような教育―日本人として「日の丸」に誇りを持つような教育を否定する風潮に、少なからず違和感を抱いている。
 
 日教組には、「日の丸」に徹底抗戦する方法論などがあるようで、日本共産党の衆議院議員、志賀義雄氏は、1952年(昭和27年)にこんな言葉を口にしている。
 「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり、指導者となる。 教育で共産革命は達成できる・・・」
 
 日本人の質を低下させるには、まず教育から・・・ということである。
 実際、日本人としての正当な立場で教科書を作成しようとすると、『教科書問題』が起きて、反日的な教育者の素顔を隠して、正論のようにマスコミすら操ってしまう勢力があることを、我われは心しておかなくてはならないであろう。
 
 教育基本法すら日本人で変えようとしても、国際的な陰の圧力が、政治家やマスコミを踊らして阻止しようという力が勝ってしまう。
 戦後、60数年経って、まさしく日本人としての誇りを亡くした日教組系の教育によって育った日本人が増えてしまったことは、確かであろう・・・と思う。教育による共産革命は、ある程度は成功しているかもしれないと実感する。
 
 というのは―――元左翼主義者で、中国政府に必要以上の敬語を用いて、自国を守る自衛隊を「暴力装置・・・」と発言する人物が、日本国の政治の中枢にいるのであるから、我われは本質を見極められないと・・・・自分達自身の手で国を滅ぼしてしまいかねない・・・・。
 
 永世中立のスイスは、定期的に国を守るための訓練を、全国民が行っている。どの農家にも機関銃などが配備されており、「自分達の国は、自分たち自身が守る」という当たり前の信念を持っており、その信念の裏付けがあるから、『永世中立』を宣言できるのである、という道理を理解する必要があろう。
 
 そのスイスは、「外国人犯罪者は、ただちに国外追放に処す」の法案を通したという。ヨーロッパにおいては過激な法案といわれているが、自国を守ることを最優先したのである。
 今、わが国の政府は、在日外国人の「参政権」を認めようと画策している。もしこの法案を通したら、対馬などはあっという間に在日外国人に住居を移されて、町の議会は占拠されて・・・・このようなシナリオが水面下で進められているという。
 いや、このような兆候はすでに各地で問題が表面化してきている。一部の議員が、原子力発電所周辺の土地を、在日外国人の組織に占められつつある危険性を述べても、裏社会の国家権力の力の前には、無力に映る・・・・。
 
 こういった情勢を考えると―――
 今一度、竜馬のような「日本」「日本人」としてのアイデンテティを持てるようにしなくては・・・・と、ちょっぴり感じている次第である。
 
 今回のテーマは、
『坂本龍馬暗殺の指令を出したのは、誰か?』
 ということである。
 いまだにこの謎は解明されておらず、多くの推論が繰り返し述べられている。
 
 今シリーズでは、「画像」や「固有の氏名」に基づく『霊体(エネルギー体)の転写』によって、直接、霊体(エネルギー体)にアプローチした方が、虚偽が介在しない―――ということを根拠にしている。
 
坂本竜馬坂本龍馬
中岡慎太郎竜馬と共に暗殺された中岡慎太郎
竜馬暗殺に関わる数々の推論を、簡単に述べておく。
[新撰組説]
新撰組が暗殺事件後に真っ先に疑われたのは、現場に残されていた刀の鞘を、高台寺党(新撰組から別れた伊東一派)の篠原泰之進らが、「これは原田左之助のものだ」と証言した事と、残されていた下駄も、「新撰組のものだ」という証言があった為である。
 その結果、大石鍬次郎は、「坂本龍馬暗殺」の名義で処刑されている。
 この説は、今ではほとんど信じられていない。
 
近藤勇近藤勇
 新撰組隊長近藤勇は、龍馬暗殺に関しては、断固として関与を否定したまま処刑された。
 実際、写真から反応する霊体(エネルギー体)も、それに関しては一切関知していないようである。
 近藤勇は、「薩摩藩の人間が関わっていると思う」と反応している。
 
[見廻組説]
現在、一般に受け入れられている説である。
 見回り組は、寄せ集めの新撰組と違い、京における正規の警察のような組織である。
 これは、龍馬暗殺の罪で捕まったとされる大石鍬次郎が一旦は新撰組の犯行と認めたものの、翌年その言をひるがえし「見廻組の今井某らの仕業と聞いている」と述べた事からによる。
 実際、こののち今井らも犯行を認めて、刑を受けている。
 
 だがしかし、
 今井らはまもなく赦免されている。明らかに、新政府との裏取引があると指摘されている所以である。
このことから、坂本龍馬暗殺には「政府側のなんらかの勢力」が荷担していると考えられる根拠になっている。
 実行犯は見回り組で、暗殺の指令を出したのは、新政府に関わる誰か、となるのか。
 このことから、「薩摩藩説」や「土佐藩説」などが登場する。
 また、船を沈没させて、『国際法』をたてに、竜馬に莫大な賠償金を支払わされ、幕府御三家の面目丸潰れにされた紀州藩説も根強い。が、新政府の裏の動きとマッチしないので、この説は無視することにする。
 
[薩摩藩説」
 一般の説でも有力なのは,「薩摩藩実行(又は黒幕)」説がある。
 実際、大久保利通らの薩摩藩は、倒幕を本義としていたのを、徳川慶喜が大政奉還をしてしまい、竜馬の画策で維新が成立してしまうことに、反感を抱いていた藩士も多かったという。
なかでも人切り中村半次郎(後の桐野利明)が龍馬を狙っていたともいわれる。
 倒幕派の最先鋒であった大久保らは、龍馬に反感を抱いてもおかしくなかったし、大久保利通は、新政府においても裏で様々な策略を巡らせて、次々と人を蹴落としていったことでも有名である。
 この点、裏面史では主役となる長州藩の伊藤博文と相通じているように思われる。
中村半次郎中村半次郎(後の桐野利明)
中村半次郎の霊体(エネルギー体)は、竜馬暗殺に関わっていないと反応する。だが、暗殺指令を出した人物は「知っている」という。それは、大久保利通が関与していると反応している。
大久保利通大久保利通
大久保は、新政府の要人として、栄華を極めた(後に暗殺される)。文京区の椿山荘など、様々な館を所有していた。
霊体(エネルギー体)は、竜馬暗殺に関与しているという。大久保は「自分が竜馬を今のうちに始末しておいた方がよい」と、土佐藩の後藤象二郎に持ちかけて、土佐藩に実行させた、と反応している。
註:西郷隆盛は、木戸(桂小五郎)や伊藤博文などの画策で、大久保などに政権中枢を追われている。西郷は、名前からの引き出した霊体(エネルギー体)の反応では、龍馬暗殺に関与していない。
 
 [土佐藩説]
「なぜ、最終的に龍馬の暗殺犯ははっきり公にされなかったのか?」
という事を考えると、「身内が殺したとは公表できない」と考えられなくもない。
 さらに、龍馬が暗殺された近江屋は、京の土佐藩邸の直ぐ近くに在った。土佐藩士なら龍馬のアジトを知っていた人物も多数いたであろう。
 
後藤象二郎後藤象二郎
   後藤象二郎は、龍馬の提案に基づいて土佐藩主山内容堂と共に連名で大政奉還を徳川慶喜に迫って、龍馬の理念を成就させている。といっても、龍馬が発案したことを公表せずに、自分の手柄にしようとしたことが、後年指摘されている。
 新政府においては、西郷隆盛や板垣退助らと共に下野しており、後に板垣と自由党を結成しておりながら、変節して後年の内閣ではいくつかの大臣を歴任している。
 つまり、主義主張が一貫していないことが、いまいち後藤の評価が低いように思われる。
 
 霊体(エネルギー体)は、薩摩の大久保利通との密談から、龍馬暗殺の決行を指示したと反応している。
 これが事実として認識されたら(私は、そのように確信するが・・・)、さらに一段と後藤象二郎の評価は、地に堕ちるかもしれない。
 ただ、福沢諭吉は彼を高く評価していることを付け加えておく。

 山内容堂 山内容堂
藩主の山内容堂は、龍馬暗殺の新犯人は「知らない」と反応している。
 
岩崎弥太郎岩崎弥太郎
岩崎弥太郎は、三菱財閥の創始者であるが、龍馬暗殺の新犯人は誰かを「知っている」と反応している。
歴史の裏舞台で、策謀を駆使した朝廷の岩倉具視あたりから、数々の情報を得ていたようで、「龍馬暗殺には土佐藩が関与している」との情報を得ていたようである。
 そのためなのか、岩崎など土佐藩関係者は、龍馬暗殺に関しての話は、事件後一切しなくなった、という。
 
付け加えると、
長州藩は、龍馬に恩義があることもあって、暗殺には一切かかわりがない。
桂小五郎(木戸孝允)をはじめとする長州出身者は、「犯人は判らない」と反応している。
 
桂小五郎桂小五郎(木戸孝允)
 以上のことから、竜馬暗殺の犯人は、土佐藩の後藤象二郎の指令で、実行したのは土佐藩士であり、それを画策したのは薩摩藩の大久保利通である、と結論できそうである。
 
 明治維新に関わる裏面史は、表舞台に登場してこないドロドロの様相を呈しているように思われる。
 小説家は、時代考証を徹底的に行い、様々な資料を集めて、史実に基づいているとはいっても、所詮小説にはフィクションが入る。
  例えば、司馬遼太郎の時代考察は鋭く、大量の資料に基づいて構成されているといわれるが、感動的なシーンにするために「ここは、史実と明らかに違う!」というところが散見される。
 だが、そのような著名な時代小説は、フィクションであっても事実として大衆に受け入れられて、いつしか「ノン・フィクション」となっていく。
 そのような中で、秘かに記録した裏の史実や、もはや自分は余命が少ないので、洗いざらい告白する・・・・といったものの中に、我われが知らない裏の実態が浮きあがってくる。
   朝廷側の倒幕運動の主役である岩倉具視は、孝明天皇暗殺に関わる陰のリーダーであるようだし、伊藤博文は実行犯の一人であるとの指摘も、今の時代だから浮き上がってくるものである。
 また、大政奉還を決意した徳川慶喜は、その愛妾であった女性の告白では、「女性がいなくては一夜たりとも過ごせなかった人物で云々・・・」と揶揄される始末である。
   今の時代にはヒーローがいない、との指摘があるが、日常生活まで暴露される現代では、ある意味仕方がないかもしれない。表舞台での人物と、裏の素顔が一致する例は少なく、それがまた人間臭さを感じる所以でもある。
 

平成22年師走記