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コラム44

未来医療・未来コンディショニングを考える(1)

粘菌とその可能性(その1)


私見ではあるが―――

そう遠くない将来、コンディショニング系も 臨床系も さらには美容・エステ系も、その根本的なアプローチが、ガラリと変わってしまう可能性がある

と、思っている。

そんな、未来への可能性を秘めたテーマを、本シリーズでは追求してみたいと思う。

例えば―――ストレッチを行う「目的」は、過緊張した筋を伸長することによって、

○ 拮抗筋や協働筋、あるいは対側の筋群などとの、「筋バランス」をとる。
○ 運動開始時のウォーミングアップや、運動後のウォーミングダウンの一環として実施する。
○ 運動後の、筋疲労からの回復を促す。
○ マイナス連動連鎖を解消して、正常なキネマチックチェインを確保する。
○ 筋肉痛などの、痛みを軽減する。
など・・・・

その目的によって、様々な場面で多角的に取り入れられているが、

● 過緊張した筋を、ストレッチして緩めることで、身体の適正な筋バランスを回復する。

という、基本的な目的が主体であるならば、もっと簡易に行なえる別の方法があるかもしれない。

例えば―――
○ 「頭蓋骨―脳反射脳法」(仮称)によって、(熟達すると)全身のすべての過緊張筋を緩める

ことが、可能であると思われる。

これによって、ほぼ全ての筋群の筋バランスが短時間で回復し、基本運動能力を飛躍的に高めることができる・・・・ようになると、確信している。

現時点(2011年4月中旬)では、まだ試験的な段階であることは否めないが、運動現場での実用性が高いことは、確認済みである。
あとは、その効力をどうやって長期間(長時間)維持できるか、という問題が残っている。

いずれにせよ、

運動後の筋疲労を速効で回復させ、一部の過緊張筋によって誘発される様ざまな問題を、ストレッチではなく、「頭蓋骨―脳反射脳法」によって対処する時代が到来するかもしれない。

少なくとも、

○ 「未来医療」や「未来コンディショニング」、あるいはそれに伴って「未来美容・エステ」などは、その本質的なアプローチやノウハウが、劇的に変化する時代がくる――

と、私は思っているし、その一翼を担いたいと、常に希求し続けている。


さて、本論に入る。
未来医療・未来コンディショニングに関わる今回の主役は、『粘菌』である。

まず、粘菌とは何か―――ということから、述べなくてはならない。

粘菌は、学名『変形菌』といわれ、動物でも植物でも、キノコでもなく、この分類は、いまだ決定的なものはないようである。





世界では約400種が発見されている(後述する南方熊楠は、このうち約1割を発見している)。

簡単に言えば、その実態は「いまだ、よくわかっていない」ということである。

粘菌は、分類上は原生生物だが、胞子による繁殖は植物のようで、脈動しながらゆっくり動くのは動物のよう。単細胞で脳も神経もなく、大きさも性別も、生物学上の分類は、決定的なものがない。

性別も「雌雄ではなく五つほどある」らしく、大きさは数ミリ程度で、栄養が十分なら核分裂を繰り返して畳一枚分にもなる。

粘菌を使ってトランジスターの代わりにさせる「粘菌コンピュータ」の研究もされているようである。

その粘菌が、人間でも難しい迷路のパズルを解く。これがイグ・ノーベル賞認識科学賞を受けた中垣北大準教授らの発見である。
以下、その紹介である。

実験では、寒天の上に作った迷路全体に、粘菌をおくと、餌を結ぶ最短経路をつないだのである。

さらに、
「単細胞の粘菌はどこまで賢いのか。なぜその賢さが作り出されるのか」
粘菌を材料に、生き物の情報処理の仕組みを研究したところ

培地に、三個以上の餌を置き、粘菌は迷路の実験のように最短距離を結ぶのか・・・・と予想したところ、結果は違った。

粘菌は、丸く、複数の経路を持つ管を作った。

「最短経路だと一カ所故障したら必ず孤立する場所が出ます。だから粘菌は、一カ所が故障しても全体はつながり、なおかつ距離がなるべく短い経路を作ったのです」と、解説する。

この粘菌のモデルは、交通網や上下水道といった社会基盤の設計に応用できるという。
つまり、

○ 粘菌は、最短距離という経済性・効率性と、安全性・対故障性という、相反する原理を、双方を適度に満たす経路を作れる。

と、分析されている。

粘菌の奥深さを、少しはご理解いただけたであろうか。

さて、
私が『粘菌』に注目したのは、伊勢白山道のブログのなかで、南方熊楠が「粘菌こそが、我われの生命に関わる生命体である」と主張していた、との文を読んだ時に遡る。

南方熊楠の天才については、様々な書籍に登場するので、ある程度は知っているつもりであった。

小学生の低学年ぐらいの時に、本屋で国語事典を見て、その全てを暗記して、家に帰って写し取る・・・・ということで、すべて記憶してしまった・・・・という。
後年、18カ国語を自由に読み書き話したという天才の片鱗が、うかがえエピソードである。

その昔、コピー機などない時代の僧侶は、経典などは必死になって覚えなくてはならなかった。
そのような時代の空海(お大師様)は、虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつ・ぐもんじほう)の成就によって、この問題を解決したと伝えられている。

これは、『虚空蔵菩薩の真言』である

○ ナウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ

という文言(マントラ)を、特殊な印を結んだまま、一日1万遍(およそ8時間かかる)・100日間連続して唱えるものである。

これは、きっちりと百万遍でなくてはならず、これよりも少なくても多くても無効となってしまう、という。

一度、この能力が開発されると、記憶力は1000倍に高まると云われている。「記憶」するのではなく、見聞したすべてを脳に「記録」してしまうのである。

ほとんどのDNAが未開のままであるといわれる右脳のある部位に、これに関連するDNAが在る・・・・と反応するので、ある講座において、二人組でチャレンジしてもらったことがある。

このとき、脳を図解して、右脳のある部位を刺激することを参加者に試みてもらったところ、

「あのー、身体が・・・浮き上がってくる・・・ンですが・・・」

と、被験者が口々に言い始めた。

慌ててチェックすると、被験者全員のアストラル体が、上半身から離れ始めていた・・・・。

アストラル体は、我われが熟睡(ノンレム睡眠)しているときに、誰でも幽体離脱して異次元からのエネルギーを摂取してくる・・・・と、いわれている。
(参考: 睡眠誘導剤を服用すると、熟睡できず、アストラル体が異次元からのエネルギーを取り込めないので、常に体調不良が慢性化してしまうことになる)

幽体離脱しても、シルバーコードと呼ばれるもので、本体(霊体)とはつながっているが、シルバーコードが何かの衝撃で切れてしまうと、死に至るといわれている。

即刻中止して、それ以後このチャレンジは行っていない。封印した。

余談ながら、

米国のモンロー研究所では、特殊音源によって、左右の耳から、右脳と左脳を刺激する微妙なヘルツの相違で、アストラル体を幽体離脱させる研究が行われている。

研究所の創始者であるロバート・モンロー(故人)は、これによって異次元の世界を幾度となく垣間見てきた、と主張している。

日本人にもこの研究所で、異次元の世界を体験している方が、少なくない。これに関するレポートもいくつかあるし、特殊音源CDも販売されている。

ただし、このCDでは幽体離脱は難しいようであるし、伊勢白山道などは、魔界に入り込む可能性を指摘しており、背後に潜む魔のエネルギー体が誘導している危険性があるかもしれない・・・・。


ともかく・・・このような実体験もあって、

○ 右脳のある部位には、我われが絵空事として無視してきた、未開の領域が存在する。

と、確信するようになっていった・・・・。

脳科学では、脳はほんの数パーセントしか使われていない(開発・機能していない)、と指摘されている。

とくに右脳には、『超能力』といわれるものを発現するDNAが、眠ったままになっている、といわれている。

このような背景もあって、右脳開発に関わる書籍は多い。
しっかりと取り組めば、効果はあるのだろう・・・だが、どうもしっくりこない・・・・気がしている。

さきの虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつ・ぐもんじほう)にしても、一歩間違えると魔界に踏み込んでしまい、命を落とす危険性さえあるといわれるが、確かにこのことは否定できないように思う。

スピリチュアル系の書籍は多いが、そのまま鵜呑みにして行うと、知らず知らずに魔界のエネルギー体に憑依されることが、少なくないようである。

そんなリスクを、右脳開発は含んでいるように思われる・・・・。


私見ではあるが、

○ 究明するには―――物質化した部位ではなく、非物質化部位への理解が前提となる――ように思われる。

つまり、
霊体(エネルギー体)への概念が抜け落ちている今の医科学的なアプローチでは、まず解明できないと考えられるのだ。

右脳は、明らかに『外部領域』とつながっている部位のひとつである、と思う。
これは、
すい臓や脾臓などと同様で、「情報」や「ある種のエナジー(エネルギー)」を取り込んだり、発信する『場』である、と考えている。

右脳開発には、様々な手法やアプローチがあるようだが、非物質化部位(霊体)への概念が抜け落ちている限り、虚空蔵求聞持法のように1000倍の記憶力を開発することは、難しいであろう。


話を戻す。

さて、
「粘菌は生命体に関わる・・・・」という文脈は、妙に心に引っかかって、あるとき、粘菌の画像を引き出して、眺めていた。

すると、

○ 粘菌は 脳幹の松果体のある部位に反応する物質である。

ということが、感知された。

松果体は、5次元原因体の情報をキャッチする部位が存在する、と自分は確信を持っているので、小さな興奮を覚えたのである。

それは――いつものようにファミレスで、朝食を摂りながら自分の世界に入っている至福のひと時のことであった(平成23年3月25日)。

この日の午後のアドバンス・アカデミーで、さっそく粘菌の画像を使って

○ 強烈な霊障が原因で、仙腸関節4点が全てはずれて、まったく身体の力が
入らないヒトを、アドアカの参加者に転写した。
○ この転写されたヒトを、粘菌画像をスキャンして 正常化せよ。

という演題を出して、実施してもらった。

その結果

○ 全ての霊障は消滅して、肉体も正常化している。骨盤も、脊椎も、ほぼ全て の関節が、正常化している。

ということが解った。

どうやら、粘菌の波動には、人体に大きな効力をもたらしてくれるという、秘められた『何らかのエネルギー』があるようなのである。

さらに粘菌についてチェックしていると、

○ 血液に作用する。
○ ソマチッドと何らかの関係がありそうだ。
○ ソマチッドと関わるのであれば、異次元との関わりが、必然的にある。

ということが、解ってきた。

これは、私にとっては、驚くべきことであった。

というのは―――
私の 今生における究極の達成すべき目的は

○ 肉体物質の再生(若返り)
○ 「究極の健康」「究極の美容エステ」「究極のスポーツ・コンンディショニング」

を 追及して、それを達成するための『究極のアプローチ方法』を創出することなのである。

そのためには、

● 5次元原因体へのアプローチ

が、必須のこととなる、との確信があり、それを模索していたのである。

したがって、

● 粘菌は、5次元原因体へと介在してくれる生命体であるようだ。

ということは、私にとって

○ 未来医療・未来コンディショニングに、粘菌が関わる。

との、確信に満ちた反応が得られたことは、大きな驚きだったのでる。

註:「5次元原因体」とは、我われの「3次元本体(現在の肉体・霊体)」に直接的に影響する概念で、量子物理学ではその存在が肯定されることになる。


ここで―――
粘菌を、私の大テーマに導いてくれた「南方熊楠」について、触れなくてはならない(ネットから引用・改編)。

南方熊楠(みなかた くまぐす)

博物学者、民俗学者、細菌学者、天文学者、人類学者、考古学者、生物学者、その他。
江戸時代の末期に、和歌山市の金物商の家に生まれた。

熊楠は、7歳の頃から国語辞典や図鑑の解説を書き写し始めたという。中学生になると、知識欲はさらに増大し、町内の蔵書家を訪ねては百科事典『和漢三才図会』(全105冊)を見せてもらった。熊楠は内容を記憶して家で筆写し、5年がかりで105冊を図入りで写本した。さらに植物図鑑25巻や名所図絵等も同様に写している。

1884年17歳で大学予備門(現・東大)に入学。同期に夏目漱石、正岡子規などがおり、同じクラスには幸田露伴がいた。

ところが地方から出てきた熊楠は、上野の国立博物館や動物園、植物園に大学そっちのけで通いつめたあげく、成績は急降下。翌年に落第したので自主退学し、親の大反対を押し切ってアメリカに渡った。

サンフランシスコからシカゴに入り、続いてミシガン州に至った。同地の州立農学校を受験しこれに合格。しかし翌年、学生5人でウイスキーを飲み、泥酔した熊楠が寄宿舎の廊下で爆睡しているところを校長に発見され、放校処分となる(21歳)。

以降独学し、頻繁に山野へ出かけ、植物採集などフィールドワークに汗を流した。この過程でさらに粘菌の魅力にとりつかれていく。

1891年春(24歳)、新種の粘菌などを求めて、フロリダからキューバに渡った。

キューバの首都ハバナで公演中のサーカス団に日本人がいて、熊楠も一座に加わった。象使いの補助をしながらハイチ、ベネゼエラ、ジャマイカなど3ヶ月ほど中南米の巡業を共にした(この間も各地で植物採集は続けている)。

1892年秋(25歳)、米国滞在の6年間で標本データが充実したので、植物学会での研究発表が盛んな英国に渡ることを決意する。

1893年(26歳)、ロンドンの下宿で標本整理を続ける一方、天文学会の懸賞論文に出した初論文「極東の星座」がいきなり1位入選し、英を代表する科学雑誌『ネイチャー』に掲載された。

『ネイチャー』といえば、科学者なら誰もが、生涯に一度は自分の論文を掲載してもらいたい、と念願する権威ある雑誌である。

さて、
熊楠は連日のように大英博物館へ足を運び、気に入った本から書き写した。この頃の熊楠は「植物も興味深いが人類そのものも面白い」と、人類学、民俗学、宗教学に強く関心を寄せている。

筆写ノート『ロンドン抜書(ぬきがき)』は52冊に及び、後年の熊楠は18ヶ国語を操ったと言われ、このぶ厚い『ロンドン抜書』でも、英・スペイン・ギリシャ・ラテン・仏・独・伊・ポルトガルなど8種の言語で書かれているという。

 大英博物館は、熊楠の驚異的な博識に圧倒され、彼は大英博物館東洋調査部員となった。
当時の彼は亡命中の“中国革命の父”孫文とも親交を結んでいたという。

しかし、
欧州では東洋人への蔑視がひどく、熊楠は何度も騒動を起こしていた。

30歳の時には館内で英国人を殴りつけ、一ヶ月間入館禁止になり、ついには博物館を追放される。
その後は、様々な仕事で生活費を稼いだが、ついに困窮極まり8年間過ごした英国と別れ、日本に帰国した。

1900年。14年ぶりの和歌山への帰郷後、日本の隠花植物(菌・苔・藻・シダ類等)の目録を完成する為に、付近を巡って標本採集に精を出した。

1901年(34歳)。訪日中の孫文がはるばる和歌山の家まで遊びに来てくれ、2人は思い出話で盛り上がったという。

これら熊野地方での植物調査は足掛け3年に及び、植物や昆虫の彩色図鑑を作った。また世界の古典文学を読みまくり、鴨長明の『方丈記』をロンドン大総長のディキンズと協力して英文訳に取り組み、完成させた。

1905年。整理した粘菌標本を大英博物館に寄贈。これが英の植物学雑誌に発表され、「ミナカタ」は世界的な粘菌学者として認知された。

1906年(39歳)。神社宮司の娘・松枝と結婚。

1909年(42歳)、熊楠は『神社合祀(ごうし)反対運動』を開始する。
明治政府は国家神道の権威を高める為に、各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残す「神社合祀令」を出した。

この結果、和歌山では3700あった神社が強制的に600に合祀(統合)され、三重では5547が942まで激減した。しかもこれにはビジネスの側面もあった。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、これが高値で売れたのだ。廃却された境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられた。

熊楠は激怒した!樹齢を重ねた古木の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く棲み、伐採されると絶滅する恐れがあった。
「植物の全滅というのは、ちょっとした範囲の変更から、たちまち一斉に起こり、その時いかに慌てるも、容易に回復し得ぬを小生は目の当たりに見て証拠に申すなり」。

熊楠は“エコロジー(生態学)”という言葉を日本で初めて使い、生物は互いに繋がっており、目に見えない部分で全生命が結ばれていると訴え、生態系を守るという立場から、政府のやり方を糾弾した。

※当時は誰も「生態系」という概念すら持っておらず、熊楠が「日本最初のエコロジスト」と呼ばれる由縁だ。

熊楠はまた、民俗学、宗教学を通して人間と自然の関わりを探究しており、人々の生活に密着した神社の森は、ただの木々ではない。鎮守(ちんじゅ)の森の破壊は、心の破壊だと主張した。

熊楠は新聞各紙に何度も反対意見を出し、合祀派の役人を舌鋒鋭く攻撃した。彼は国内の環境保護活動の祖となった。

1910年(43歳)、熊楠は合祀派の県役人ともめて、逮捕され、18日間拘留された。
だが、拘置所で珍しい粘菌を見つけた彼は、釈放を告げられると「もう少し置いてほしい」と言い、出ようとしなかったという。

1911年。熊楠の反対運動に共鳴した内閣法制局参事官・柳田国男(民俗学者)は、熊楠の抗議書を印刷して識者に配布し、活動を側面から支えた(柳田は熊楠の家に話を聞きに行ったことがある)。

この頃から自然科学の論文に加え、民俗学や文化に関するものも大量に書き始める。

1912年(45歳)。熊楠の猛烈な抗議運動がやがて世論を動かし始め、和歌山出身の議員が国会で合祀反対を訴えた。

1915年(48歳)。6年前にアメリカ農務省から省内に入って欲しいと要望書が届いていたが、ちょうど合祀反対運動の開始時で返事をしなかった。すると、この年にわざわざアメリカから農務省の役人が和歌山県の田辺までやって来て、再度の渡航要請をした。
しかし
彼はまだ反対運動が続いていること、家族のことを考えて辞退した。

この米国農務省の一件は、日本社会に熊楠がどれほどスゴい男・世界的博物学者なのか知らしめた(熊楠は海外では有名だったけど日本では無名に近く、近所の人も変わり者の親父と思っていた)。

1917年(50歳)。自宅の柿の木から新種の粘菌を発見し、英の学会で「ミナカテラ・ロンギフェラ」(ミナカタの長い糸)と学名がついた(和名・ミナカタホコリ)。

1920年。10年間の抵抗運動がついに実を結び、国会で「神社合祀無益」の決議が採択された。これ以降、熊楠は貴重な自然を天然記念物に指定することで確実に保護しようと努めるようになる。
※世界遺産に指定された熊野古道には、熊楠がいなければ伐採され、我われが姿を見ることが出来なかった巨木(樹齢800年の杉等)がたくさんある。

1925年(58歳)。熊楠は数年前から「南方植物研究所」の構想を練り、建設資金集めに奔走していた。

この年に寄付を求める為に書いた「履歴書」が、超密度の濃い人生を象徴するかのように7m70cmという長大なもので、巻紙に細字5万5千字で書かれており、世界最長の履歴書と言われている。

翌年には資金作りの為に『南方閑話』『南方随筆』『続南方随筆』という3冊の著書が刊行された。海外への論文は何度も書いてきたが、国内に向けた一般著書はこれが初めて。59歳での初出版となり、人々は随筆に書かれた熊楠の博識に感嘆した。

1929年(62歳)。昭和天皇が田辺湾沖合いの神島(かしま)に訪問した際、熊楠は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、最後に粘菌標本を天皇に献上した。

戦前の天皇は神であったから、献上物は桐の箱など最高級のものに納められるのが常識だったが、なんと熊楠はキャラメルの空箱に入れて献上した。

現場にいた者は全員が固まったが、この場はそのまま無事に収まった。側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。後年、熊楠が他界した時、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
※1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」。

 神島(天然記念物)

参考:この神島の写真を視ると、上方の離れ小島には、神界のエネルギーが反応しているように思われる(Y)。

1933年(66歳)。白浜の御船山神社境内に天皇の行幸を記念した博物館設立が決まると、「神社に博物館を置くのは文化の破壊」と民俗学者として反対運動を展開し中止させた。

翌年、神島の自然を保護するため、島の詳細な植物分布図を作り、史跡名勝天然記念物の申請書を提出。2年後に政府から認定された。

1937年(70歳)。日中戦争が勃発。戦局が拡大するなか、高齢になった熊楠は体調を崩し病床に就く。それでも人生の集大成として、「日本産菌類の彩色生態図譜」(日本菌譜)の完成に向け、これまで採集した標本と、連日弟子達が持ち込んでくる菌類を整理し、世界に誇る作品にするべく、写生し、注釈を書き、死力を尽くして奮闘し、4500種・1万5千枚の彩色(カラー)図譜を完成させた。

1941年。病状悪化から死期を悟った熊楠は、家族への形見として『今昔物語集』に署名する。
12月8日、米英に知人の多い熊楠は、真珠湾攻撃のニュースに絶句。その18日後の29日朝6時30分、「天井に紫の花が咲いている」という言葉を最期に激動の人生を終えた。享年74歳。

翌日に熊楠の希望で脳解剖され、阪大医学部に脳髄が保存された。田辺市郊外、神島を望む真言宗高山寺に埋葬される。戒名は智荘厳院鑁覚顕真居士。1965年(没後24年)、和歌山県白浜町に南方熊楠記念館が開館した。

「南方熊楠は日本人の可能性の極限だ」(柳田国男)
熊楠は何かに興味を覚えると、それに関連する全ての学問を知らなければ気が済まないという、底なしの好奇心と爆発的な行動エネルギーの持ち主だった。

『ネイチャー』に論文が載るのは研究者の夢である。
科学者なら一生に一度は掲載されたい。東大、ハーバード、ケンブリッジ、どこの大学教授も、研究チームも“いつかはネイチャーに”というのが悲願。それを熊楠は51回! しかも最初に掲載されたのが天文学に関するもので、粘菌関係ではなかった。

学歴もなく、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者であった。何もかもが独学で肩書きナシ。国家の支援も全く受けずに、これほど偉大な業績を残した人間が実在した。
「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」(南方熊楠)

粘菌や昆虫(害虫も含めて)など微小なものを徹底して観察した熊楠は言う「世界に不要のものなし」。


さて、
ここからは、根拠のない私の独言(ひとりごと)である・・・・

なぜ、熊楠は自分の脳を保存するように依頼したのか・・・・ということを考えた。
そして、生前の熊楠の霊体を呼び出して、チェックしてみたところ・・・

○ 熊楠は、子供のころから山野に分け入って、幾度も数日間行方不明になるほど、自然と共存することを体感していた。

○ 熊楠には、「国常立尊(くにとこたちのみこと)」のようなエネルギー体がサポートしている。
  このエネルギー体は、日本国土の守護神といわれているものである。

○ 熊楠の右脳には、粘菌が反応している。この粘菌が介在して、驚異的な記憶力(記録力)などの、一般に言う超能力が開発されたように思われる。

○ この粘菌反応は、左脳にはみられない。

○ 保存された脳髄からは、何も得られないと思われる。右脳の物質化された部位ではなく、非物質化のエリアに粘菌は反応しているように思われるからだ。

○ 熊楠は、自身で右脳に粘菌が反応していることが、直感的に理解していたようであるが、その粘菌が非物質化したエリアにある、との概念は持っていなかったように反応している。
それ故、
脳髄の保存を依頼したようであるが、物質化したエリア(脳の実体)からは、誰もその驚異的な脳力の秘密を解明することは、できないと思われる。

熊楠は、次のように述べている。

「粘菌は、動植物ともつかぬ奇態な生物や。英国の学者なぞは、宇宙からきたお方じゃないかと言うとる」

実に面白い。
粘菌は、異次元と我われが存在する三次元の橋渡しをしてくれるかもしれない、とさえ思えてくる。


まあ、このようなことを書き綴ると、妄想狂と疑われかねないが、正直に反応したことを、書き込んでいる。

熊楠のことから、右脳開発の現代のアプローチを考えてみたときに

● 右脳開発の現代のアプローチの中には、魔界の霊力を呼び込んでしまう可能性を秘めたものがある(ようである)。
● 右脳開発の主役は、粘菌である。
● 粘菌を、右脳の霊体(エネルギー体)に反射させていると、未開の領域に踏み込むことができるように思われる。

そこで―――
熊楠の霊体に、次のことを尋ねてみた。

「粘菌を、自分の身体に反応させるには、どうしたらよいのか。
粘菌と親しく接することが、そのコツなのか?」

答えは―――

「親しくすることではない。粘菌と一体となることだ・・・」



2011年4月記